シロフクロウさんの音楽コラム・最新ページ
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☆82話=★2010年3月2日・番外編・手指が勝手に動いて記事を書く。

昨日は真夜中に腹痛が起き、午前四時になって、ガンセンターから処方された痛み止めの麻薬を飲んだが収まらなかった。
朝七時になってから、寝ていた妻を起こして、ガンセンターに電話してもらい、救急扱いでICU室で手当をしてもらった。
このような癌闘病の他にもうひとつ、私の場合は人工肛門という厄介極まる身体だから、こちらのケアもとても面倒です。

両方の病は治るということは無いので、死ぬまで生涯にわたって二重苦がつきまとうことが確定している。
ガンセンターのICU(集中治療室のことです)から自宅に戻って、やっと気持ちが落ち着いてから、フト気付いた。
2月の四方山話を書かないままに、3月に入ってしまったではないか!。あらまぁ・・サボッた気分だね。

私の場合は、書くことはいくらでもあって、記事を書くタネに困ると言うことは無い。ただ、書くのを忘れるのだ。
作家ではないから、人様を楽しませる工夫はせず、話題を選別することなく、キーボードに向かってから書き始めるので、
文章を書き終わってからタイトルを付ける。そういうスタイルだから、遅筆ということは無いが、書き忘れる悪癖がある。

つまり、この頃は病苦で心のゆとりが失われているのである。こういうときは、日常の暮らしに音楽が埋没してしまう。
病苦の程度によって、あるいは人それぞれによっても違うけれど、音楽が宿るべき条件の一つは健康であると実感する。
それは当たり前だという人は、実体験が不足している。抗ガン剤投与による苦痛を体験していない幸せな人です。

健康体の人が「ガン細胞も健康な細胞も、同じ人の細胞なんですよね」と、解った風の顔付きをする。
そんなことが解ったからといって何の役にも立たない。癌患者本人としては、困難な状況は何一つ変わることは無いのだ。
理屈が解ることと、自分の身体で抗ガン剤の副作用による苦痛を味わうことは、全くの別物なのである。

ある老医師は言う・・「若い医者は、一度自分で大病を患うと、患者に優しく接するようになる」
本来は、頭脳による医学教育で、そのへんは身に付けるべき事だろうが、医師もまた普通の人間だということだ。
自分の身体を病苦に苛まれないと、病気というものを真に理解できないということだろう。人間は愚かな生き物だ。
頭脳というのは利口そうな顔をして(どんな顔じゃ?)目鼻や耳などの感覚器官に負けているのではなかろうか。

暇話休題、こうして徒然に筆を進めていると、つい、自分の境遇を書き留めることになってしまう。
音楽四方山話を書くためにキーボードに向かう時は、今日はアメリカから到着したカントリーCDのことを書こうかな、
などと、殊勝なことを考えてはいるのだ。ただし、頭脳が考えていることとは無関係に、
私の抗ガン剤の副作用でマヒした手は、いつの間にか、病苦のことを書き綴っているのである。おいおい!なんだこりゃ。

シロフクロウさんは正直な生き物だということだな。ウン、などと、開き直ってしまうことにする。
次回の第83話には、カントリーミュージックのことを書くべきだろう!ナニをしておるのだ、お前は!、
などと自分を叱っておくが、いざとなれば脳味噌をのけ者にして、またもや手指が勝手なことを書き綴るような気がする。


☆81話=★2010年1月29日・再生音の楽しさは無限に存在する。

80話で、理想と現実の不一致は、人生につきまとって離れないと書いたのだが、
今こうして、自宅リフォームが終わって癌闘病に専念することなり、音楽との関わりもまた、自然と変化してきた。
つまり、これはターニングポイントであり、私にとってのオーディオ新時代が到来したといえよう。

手術するかしないかの選択で医師は私に言った「暮らしを取るか寿命を延ばすほうを取るかだな」
私は医師に次を言わせず、「それは暮らしの方だ。暮らしが成り立たなくては、寿命を延ばしたところで何になる」
医師としては、おそらく命を永らえる方が大切と思っていた筈だ。そうでなくては外科医をやっていられまい。
手術は手段であり目的では無い。生活を楽しめないで、ただ寿命を延ばしてなんになろう、と、私は思っている。

暮らしということは、各人各様であろうが、シロフクロウにとっては、音楽とオーディオが暮らしの代表格です。
そういうことで、あらためてオーディオというものを再考してみると、近年はオーディオの見方が変わってきた。
私は以前から、オーディオ再生音には生の音には無い、無限の魅力が存在する。と言い続けてきた。
一般の人々は、生の音が一番良くて金科玉条のごとき扱いをしてきた。それは違うと私は考えている。

生の音楽に近似する再生音を最終目的とする方向も有ってしかるべきであろうし、そこは否定するものではない。
ただ、それは、オーディオ再生の数ある目標の一つに過ぎない。オーディオにはその他に、百人百様の目標があるのだ。
一例を挙げれば、官能的な音楽などは、生の音楽以上に生々しいオーディオ再生が存在する。
これなどは、大方のオーディオ好きが体験していることであろう。その実体験を的確に把握していないだけのことだ。

私が何年か前に、あるネット場所に【生より良い音楽が聞けなくては、オーディオをやっている意味がない】と書いた。
読者の反応はというと、生の音楽こそが最高だと思っている人が大半であるから、私の意見は異端視された。
そもそも、生の音楽とオーディオ再生は、比べることが間違っているのだが、
あえてどちらが好きかと問われれば、私としては、再生音楽のほうに、より多くの楽しみがあると信じる。

録音された後で、人の手が加えられることによって、人それぞれの楽しみが無限に生まれるのがオーディオだ。
生の音楽は一過性で、それだけのものであり、それ以上でもそれ以下でもない。そこがオーディオ再生との違いです。
もっと下世話に言えば、ただ聞くだけなら猿でも音楽は聞けるが、人間なら聴く工夫をする事が出来るのだ。

言わんとする根本は【オーディオの音は生音楽よりも楽しい】ということであり、音楽性の優劣を論じているのではない。
オーディオマニアたる者は、自分の再生音を極めることで、生の音楽よりも、さらに一歩高みへと登るべきであろう。
そうでなくては、オーディオを趣味としている意義はない。
また、そうあらねばオーディオマニアとは言えまい。ただの音楽ファンとの違いは、正にそこにあるのだ。


☆80話=★2009年12月・オーディオルームをリフォームして音楽環境を改善する。

79話で、千葉市内の自宅をリフォームをしていると書いたけれど、8日に工事状況を見てきました。
思っていたほど工事は進んでおらず、チョット落胆したけれど、工事の質は良いから、良い結果が出そうだ。

我が家のリフォームは、家の外は一切変更無しで、一階の部屋天井も工事無し。なげしの上も手を付けない。
つまり、一階部分の水回りと、床の張り替え、台所と居間の一部を板壁にするだけのものだ。

それでも、結構な費用はかかるもので、定年生活が始まったばかりの我が家には、負担は大きい。
そして、大事なポイントは、シロフクロウさんのオーディオと音楽の楽しみが増してきそうな予感がするのだ。
【フクロウの巣穴】と呼ぶオーディオルームの壁が厚くなり、二重ガラスサッシになるから、防音効果が出ます。

我が家は一軒家であるし町中だから、車の走行音や酒場の外部騒音も大きくて、
フクロウの巣穴から漏れ出る音楽が、部屋から洩れても、かき消されるのだ。よって、さほどの近所迷惑にはならん。
と、信じているけれど、この類の生活騒音問題は、人の感情面で左右されるから、真相は不明だ。

私に残された時間は、とても少なくなったけれど、これからの音楽環境の改善には、大いに期待をしています。
本当は50才までの元気な頃に、この程度に音楽を聞ける環境が欲しかったのだが、人生は思うに任せない。
やりたいことと、やらなくてはならないこと、それらの優先順位というものは、理想と現実の不一致を見るのだ。

シロフクロウさんは、クラシック音楽を愛好していたが、40才を迎えるあたりから、
カントリーの女性ボーカルを好んで聞くようになった経緯があり、これが防音部屋を夢見る原因となった。
普通は若い頃にうるさくて激しいポップ系・ロック系にハマり、その後にクラシック偏重になることが多いのにね。

私は逆コースを辿ったということだが、
困ったことに、カントリーの女性歌手というのは、女性ジャズボーカルと違い、最適音量が大きいときたもんだ。
年を取ると共に、不幸になっていくというのは最悪である。ま、若い頃に不幸なら良いとは言うまい。

ただ、定年になった妻の旦那フクロウが会社に行かなくなると、大人が二人、常時同じ家の中で暮らすことになる。
こうなると、音楽生活も改善されるばかりでは無い。一難去ってまた一難!というべきか・・・
まったくの話し、理想と現実の不一致は、人生につきまとって離れないものだと、慨嘆している。


☆79話=番外編★2009年11月25日・老人化する町。

千葉市内の自宅がリフォームをしており、現在は妻の実家に転居しているのだが、今日で5日になる。
ネット環境が無い場所で記事を書いてもアップロード出来ないが、第79話を書き留めておきます。

人間は住む環境が変われば、自ずと変わるらしいが、酒々井町に引っ越しをしても、たいして変わらない。
この五日間、一歩も外に出ていないし、相変わらずの出不精である。
28日には、新型インフルエンザのワクチン接種のために本来の住所に戻るが、少しは外にも出なくてはね。

妻の旦那フクロウが、郵便局などに行って用足しをするというので、駅前スーパー買い物をしてもらった。
ついでに、私の主食である【お菓子】を買ってきてもらおうという魂胆であります(笑)。
で、帰宅した旦那フクロウから話を聞いたけれど、この町は、老人の町になっていると感じた。

郵便局のATM前で、何度も何度も入力を間違えて、なかなか引き落とせない老人もいれば、
スーパーのレジで、素早く精算できない老人の後に行列が出来ていたりする。と、妻が言う。

人口構成からして、いずれ日本の市町村は、老人国家になると言われてきたけれど、
酒々井町もまた新興住宅団地らしく、広大な住宅団地全体が老人の町になってきたのだろう。
なにせ、こうしてパソコンに向かっていても、町の物音がしないし、通りには人影が少ないのである。

全国至る所に、この酒々井町のような住宅団地が出来ており、その多くが老人の町化しているのだろう。
本来の町というのは、
交通の要所だから町が出来たり、物流の拠点だから町が出来たり、もの作りをする工場があるから町が出来たり、
そういう必然性があって出現するものだが、近年の住宅団地というのは、そういう理由から出来た町ではない。

突如として郊外や山の中に出現した住宅団地というのは、自ずと陸の孤島的な性格を持ち合わせており、
古くから有る町とは違う形態をしていることに気付くのだ。いわば、生まれも育ちも違う町なのである。

この酒々井町は実に静かで、子供の声もしなければ小鳥の声も少ない。ひっそりと朝を迎え、ひっそりと暮れていく。
一方、私の住む千葉市中央区の家は、朝は小鳥の声がうるさくて目を覚ますこともあるし、小中学校の通学路も近い。
私の町では、いまだに昔ながらのよろず屋のような小さい商店も多く、生活感に溢れている。車の騒音は困ったことだが。
近所のおばさん達の立ち話もうるさくて、休日も朝寝坊しておられぬ。良い悪いは別にして、双方の町は大違いだ。

定年退職を迎えた妻から、実家の酒々井町と現住所の千葉市中央区の、どちらに住むかと問われて、私は現住所を選んだ。
実家は広くて駐車場が二台分あるのに比べ、私の家は月極駐車場を借りている。常日頃から兎小屋と呼ぶほど狭い家だから。
私が独身時代に買い求めた家だから小さくて狭いけれど、便利さは勝っている。そういう理由で千葉市に住むことにした。


☆78話=番外編★2009年10月24日・定年退職記念旅行。

明日25日から、旦那フクロウの定年退職記念旅行に出かけます。
一応、日程は組んであるけれども、計画通りに帰宅しなくても良いというところが、今までとは大違いです。
なにせ、キッチリと帰ったところで、出勤する会社は無いワケですから、いつまでも旅行していて構わない。

一ヶ月間は帰宅しません!なんちゅー事は言えないけれどさ!金が続かないからね。言えたらいいねぇ〜(☆_@).oOO
つまり、定年になってしまえば、ゆとりが有りまくりの介になるのでして、これは気分が全然違いますデスよ。
残念なことには、さぁ、これからだ!というこの時に、シロフクロウさんが身障者になってしまったことだ。

クランケンシュタイン(私の造語よ!ウィキペディアで調べたりしないでね)になってしまって、自由が効かない。
こんな身体になってまで生きていたくない、と言って手術を拒否して死ぬ人もいるけれど、
私は生き延びる事を選んだのだ。この選択をした以上は、来るべき困難などは甘んじて受け入れることになる。

それにつけても定年後は、毎日ヒトツ屋根の下で、旦那フクロウと一緒に暮らすことになった。
ある友人は、「いつも一緒に居ると、大変だよ!」と言いつつも、どこかしら嬉しそうにしておった。
奴は、自分達夫婦と同様に、喧嘩をしているシロフクロウ夫婦を連想しているに違いない。わははのは!)^o^〜(

シロフクロウさんは、そんな暮らしの中でも、様々な趣味を続けていくつもりだから、今までとたいして変わらない。
抗ガン剤治療をしていると、苦痛のために音楽が楽しめなくなって、オーディオの趣味から遠ざかることになった。
そんな場合でも、ピカピカと光る鉱石なんぞを眺める楽しみもあれば、花を愛でる楽しみもありまして、
様々な趣味が有るということは、とても幸せなことだと、今さらながら思い至るのです。

幸いなことに、11月4日の化学治療で、暫くは抗ガン剤治療を中断することになりました。
このまま、一年間も毒物を体内に取り込んでは苦しみぬくのかと、暗澹たる気持ちになっていたけれど、
薬物治療が一休み出来れば、少しは人並みの暮らしも出来るようだと、ホッとしています。


☆77話=2009年9月24日・生きて音楽を聴ける喜び。

秋は音楽が身に沁みる季節ですが、この頃なぜか、シロフクロウさんのオーディオが、ことのほか快調です。
先月は、ほぼ死にかけてガンセンターに行き、即入院して生命を保つための手術をし、現在も化学治療が続いている。
死ぬこと自体はちっとも恐ろしくないシロフクロウさんだから、当初は、たぶん俺はこれで死ぬんだろうと思った。

恐ろしいのは癌の痛みであって死ぬことにあらず。ポックリと死ねるなら有り難いことだと思っていたくらいだ。
早い話が自殺する手間が省けるなんていう、ケシカラン思いもあったことを、ここで白状しておく。
ただし、ただ一人の家族、愛妻が居る事情があり、自分のワガママを通せないから、まだ生きている。

命を取り留めてしまうと、主夫の仕事、送迎運転手の仕事、愛妻の誕生日にバラの花も咲かせなくては!
などと、次から次へと生活のための活動に日々を追われるということになってしまう。
この生活に追われるという部分が人生のミソというか、やくたいもない事由のくせに、まことに侮りがたいことなのだ。

暮らしに追われていると、いつの間にか、死にかける以前の生活に戻ってしまったことに、フト、気付くのであります。
な〜んだこーりゃヨー!〜(゚o゚)゙!!でありますね。今は抗ガン剤の副作用で頭脳がボー!としているせいか、
「これでは、なんのために癌になったのか、ワケが解らんではないか?!」などと、わけのわからんボヤキをする始末だ。

暇話休題、普段の暮らしに戻ると、私の大事な生き甲斐のヒトツであるオーディオで、音楽を聞く姿勢にも変化が起きる。
化学治療が軌道に乗ったのと、オーディオ機器のメンテナンス効果と、季節が音楽向きの秋であることなどが重なった。
そもそも私のオーディオは、なにやら不可思議な力によって支配されているという事があるから、実に良い音がしている。

私の【気】と、愛機JBLパラゴンとが交信して、相互に影響し合っているのかもしれない。あちこちにオーラの嵐っ!
この頃は特に、心地良く音楽が鳴り響いており、生きて音楽を聴ける喜びを噛みしめています。オーラよッ!と・・

こんなに居心地良く、秋の日を音楽と共に過ごしているというのに、自宅のリフォーム計画が持ち上がっているのです。
あちゃ〜(@_@)・・、なんてことじゃ、なんて面倒なことじゃ、元気なときだって気が重いのにねぇ。


☆76話=2009年8月31日・歌手としての立脚点を確かなものに。

数日前に、アメリカから通販で女性歌手のCDが何枚か届きました。
その中に、私の好きな歌手であるミンディ・スミスの新譜が混じっており、彼女ならではの歌の世界を満喫しました。
タイトル【Stupid Love】は、素朴なパッケージで、そっけないと言うほうが正しいかもしれない。
前作が凝りに凝ったアルバム作りだったから様変わりだが、ミンディの歌は何も変わることなく、引き継がれている。

もう一人、大いなる期待を抱かせているのに、常に期待を裏切ってきたティフト・メリッツ・Tift Merritt が印象深い。
今回のアルバムタイトルは【BUCKINGAM SOLO】。こちらもそっけなくて簡素なパッケージで発売されている。
これは今までのTift Merritt の不満点を払拭する出来映えであり、これこそが彼女の立脚点とすべき歌唱であろう。

今までは、彼女の周囲に有象無象の輩が居て、売らんかな!の商売人根性剥き出しで作った欲の塊CDであったようだ。
思うように売れなかった今、金をかけたCDを作れず、悪い取り巻き連中も居なくなって、このCDが出来たのかも。
しかし、それが故に今度こそ、Tift Merrittが歌いたかったように、自分の心のおもむくままに、歌いきったのだろう。

ティフト・メリッツ・Tift Merritt の新作は、心癒される歌の数々で満たされており、聞き終わると幸福感が満ちる。
出来れば、ライブアルバムでないほうが望ましかった。語りが入らないスタジオ録音であれば、より良かったと思う。

私は音楽ファンではないから、いちいち歌手の動向を探ったり、このアルバムの背景を探るなんてことはしない。
だから、推測で記事を書いているに過ぎないが、とにかく、今回のアルバムが出色の出来であることを報告する。
およそ歌手たるものは、小鳥がこの世に生まれて歌わずにには居られないように、自分の内なる欲求に突き動かされ、
堪えきれずに声を出して想いのたけをこめて歌ってしまうように出来ているのだ。それが魂の歌というものだろう。

存分に自分の思いのたけをこめて歌うには、音楽業界の売らんかな!の精神など取り去って、
本当に純真なままで、存分に歌いきるという姿勢が大切だろうと思うのだ。
ミンディのように最初から今日まで、ブレることがなく、己の立脚点を確立している場合もあろうし、
ティフトのように、確たる立脚点を持たないまま、何枚もCDをリリースしたあとで、辿り着く場合もあろう。

いずれにしても、女性ボーカリストを応援してやまないシロフクロウさんとしては、
彼女等に、歌う前も、歌っている最中も、歌い終わった後も、幸福感に満たされた音楽活動をして欲しいと願っている。


☆75話=2009年7月31日・☆番外編です。 癌治療は音楽を遠ざける。

本来、音楽コラムである【四方山話】なのだが、音楽を楽しむには健康も不可欠であるし、経緯を書き留めておく。
美談風にカッコをつけるなら、病気の時に音楽が元気をくれた、ということになるのだが、現実はそうはいかぬのだ。
慌ただしい一ヶ月半の出来事を、以下に11行で書き記すが、私の直腸癌治療は、急展開で推移していった。

6月中旬、千葉駅までの送迎中に、あまりの苦痛で、予定していた奥飛騨温泉行きを断念し、鎌取肛門科を予約。
6月23日の初診で細胞サンプルを採取し、次回の26日の肛門科外来で、痔ではなく大腸癌であるとの診断をうけた。
県立ガンセンターを紹介されたが、紹介された医師の担当曜日が水曜日のため、7月1日に受診予約をした。

7月1日の初診時には、既に腸の狭窄症状が出ており危ない状況。実質的に18日から食事をしていない状態だった。
県立ガンセンターで直腸癌と診断されて即座に緊急入院となり、急遽、人工肛門手術をして、生命を繋ぐことになる。
極度の貧血体質のため、24時間点滴治療を一週間。とりあえず輸血治療等で手術可能な身体としてから、6日に手術。

6日に人工肛門を作って身体障害者の仲間入りをしたが、これで生きながらえることが出来た。8日には20日ぶりの食事。
しかし、肝心の癌は、進行してリンパ節に転移もしているから、ガン細胞に対して外科治療ができるような段階ではない。
化学治療を採用し、抗ガン剤投与のみで癌治療をする他に道はなく、13日に心臓にカテーテルを埋め込む手術を受けた。

あちこち傷んで、まだ出血もしている身体だが、15日には退院した。抗ガン剤投与は二週間に一度のサイクルです。
初回は22日と23日の二日間。病院内の点滴治療4時間と、自宅に持ち帰っての点滴が46時間。次回は8月5日となります。

概略は以上だが、入院して手術をする前と今日の7月31日を比べて、癌の容態そのものは、ほとんど変化はないのだ。
実質的な癌治療は、22日から始まった抗ガン剤投与が最初なのだし、僅か一週間の薬剤投与で、変わるわけも無い。
これから何年間も、ひょっとして生きている間、抗ガン剤の副作用の苦しみと同居して暮らすのかもしれない。

冒頭のタイトルに戻るけれど、毎日、癌の苦痛を受けて、もはや、オーディオと音楽を楽しむ生活環境ではありません。
理想的な音楽美談とは、ほど遠い暮らしをしております。そして、いくらなんでも、二階の寝室で寝てくらすのは嫌だから、
階下のオーディオルーム【フクロウの巣穴】に薄手の敷物を敷きまして、その上に寝て生活しています。

巨大化した直腸癌は元気いっぱいで縮む気配はなく、座ると癌が圧迫されて、周囲の組織も悲鳴をあげるのだ。座れない!。
まさに腫れ物を扱うがごとし、なのである。二種類の痛み止め麻薬を処方されているが、癌の痛みは止めきれない。
そうではあっても、癌宣告を受けた当初に覚悟していた激しい苦痛はないから、現代医学の進歩には感謝している。


☆74話=2009年5月16日・☆世の中はエコブームですが・・

エコカーに買い換えると政府の補助がもらえますが、ちょっとお待ちを!ごく当たり前の話しですけれど、
もっとエコにしたければ、車を買い換えずに、通勤バスに乗るとか、レジャードライブに行く回数を1/3にすべき。
さらに本当のことを言うと、一部の人がやっているように、マイカーを手放してしまい、車のない暮らしをする。

昨日の5月15日から、大型液晶テレビに買い換えた場合は、3万6千円がポイント還元されます。小型はそれなり。
でもね、これだって、根本から考え直せば、テレビ漬けの生活を廃止して、完全にテレビ無しの生活を始めるべき。
その方が、遥かに省エネ生活を実現できるというものです。

なぜこんなことを考えたかというと、予定では今日の今頃、愛車赤兎馬を駆って、軽井沢に行っている筈だった。
旦那フクロウは先日、マップルマガジン【軽井沢】なるガイドブックを買ってきて、行く気漫々であったのだ。
ところが、軽井沢の天気ばかりは予定通りにはいかず、曇天で肌寒くて小雨模様で、ドライブは中止となった。

そこで、いつものように週末はホームシアターにしましょう!とか、シロフクロウさんの愛機JBLパラゴンを使った
オーディオ装置で、音楽三昧をして過ごそうということになったのです。これぞ省エネルギー生活の見本だね。
はたから見れば、単なる引き籠もり症候群だけれど、世の真実とは、隠されたところに存在するのだ。(^_^;)\〜(ヤ_ユ) ノ

さて、少しは音楽に関係のある話をします。軽い横睨み的な話でありますけれどね。
前回 73話は4月16日で、シャンソンを聴いていると書きましたが、実は今も我が家に流れるのはシャンソンです。
先月のはコラ・ヴォケールの来日公演ライブものなどでしたけれど、
今日のはさらに古いリュシエンヌ・ボワイエ。歌うは代表曲【聞かせてよ、愛の言葉を】1930年録音の音源。

この時代のシャンソンになると、パチパチ!というスクラッチ・ノイズ混じりで、可愛らしい歌声が聞こえます。
すすり泣くヴィオロンと共に、美しき歌姫が切々と歌う愛の歌の数々は、まさにフランスの小唄・・という風情。
エエなぁ・・、実に良い・・ウルウル・・。
ここまで心情的にウットリできれば、パチパチというノイズも、聴衆の拍手が聞こえたのだと錯覚出来る。

普段は、カントリー・ミュージックの女性歌手達を愛聴しているが、時折、アグレッシブな歌に辟易するのだ。
ところが、昔の歌というのは、シャンソンに限らず叫びたてるような歌唱は無いから、ほのぼのとして良い。
音の良し悪しから言えば音質は最悪だし、ダイナミックレンジなんてものは存在しない。でも、いいのよ。

話を画面展開させるが、私が大阪の吉本芸人が嫌いなのは【ウルサイから】に他ならない。
近年になってアグレッシブに叫ぶ歌唱を聞くと、吉本芸人と同様の反応が起きる「ウルセェ!黙らんかい!」
これは、多分に年老いたことと関係していると自覚している。さぁ、次のシャンソンを聴きましょう 〜(^_^)v


☆73話=2009年4月16日・☆LPでシャンソンを聴いていました

先日、妻の旦那フクロウの指摘を受け、怠っていたオーディオ装置の再調整をした。
オーディオというのは、半年以上もほおっておくと、ケーブル接点の錆び付きであるとか、
あるいは、様々な経年劣化によるものであろう、高域が減衰気味になるという現象が起きる。

365日24時間エアーコンディショナーされているオーディオルームなら、最小限の音質変化で済むだろうけれど。
なにせ我が家は、築31年の建て売り住宅であるから、冬場のガスストーブ、夏場のエアコンを付けっぱなしでも、
就寝時間となれば、人が居なくなったオーディオルームを冷暖房するわけにはいかない。これが小市民の住宅。

ちょっと、話が余所に飛んでいきそうなので、軌道修正・・・
つまり、オーディオの再調整をした後では、自ずと聞き親しんだ音楽をかけて、音質を確かめることになる。
しかし、今回はいつものCDではなくて、なぜかLPレコードに手が伸びた。それも古いシャンソンを聞いた。

LP特有の、そこはかとなく楽音に混じるスクラッチノイズが、いにしえへの郷愁を誘うがごとき媚薬となる。
聞いていると、音質をチェックしていることを忘れ、流れに任せて、歌そのものを聞いてしまっていた。
コラ・ヴォケールの語るがごとき歌を聞いていると、シャンソンを良く聴いていた頃の、若い自分に戻れます。
音楽は、瞬時にしてタイムスリップして、過去の時間に我が身を連れて行ってくれる効能がある。

その昔、銀座の並木通りにあるシャンソン喫茶【銀巴里】に行き、金子由香利の歌を聞きに行ったものでした。
あの当時はまだ若くて、今と違い、東京までの電車往復も苦ではないし、なにより元気に歩けたのだ。
人は老いると、昔は良かったと言うが、それは昔の時代が良かったのではなく、自分が若いことが良かったのだ。

そんな当たり前のことなどが、ふと、脳裏をよぎったりしつつ、古いシャンソンを次々にかけて聴いていた。
LPレコードだと、片面を演奏するごとに椅子から立ち上がり、盤面を返して聞くのだが、
今日はそれが、さして面倒にも思わず、何時間も聴き続けたのだった。

今の季節は桜が終わって、木の芽が吹いているのだが、暑くも寒くもない、ほどの良い季候だ。
オーディオルームの【フクロウの巣穴】も、 窓を開け放っても構わないほどの居心地良さである。
実際には、近所への音漏れを気にして、窓を開け放ってシャンソンは聴けなかったけれど、気分は良かった。

今さらながらであるけれど、人間は環境が大事です。
音楽を聞く環境もまた然りであり、暑くも寒くもなく、湿度も高くも低くもなく、
そんな環境の中で、コーヒーを飲みつつ、歌姫達の声に耳を傾けるひとときは、とても大切な時間です。


☆72話=2009年3月30日・☆音楽に飢えることの大切さ

自戒をこめて言うのだが、このごろは音楽を聞きたく無いと思う日があるようになった。以前には考えられない事だ。
何十年もの間、私を突き動かしてきた、音楽への欲求が、この半年くらい前から、急速に萎んできたのだ。
その理由を探ってみると、いくつかのことが浮き彫りになって見える。

ひとつには、やはり昨年夏頃からの、急速な健康の衰えが影を落としている。単純に年老いたということもあろう。
標語をもじれば、健全な音楽への欲求は健全な肉体に宿る、ということである。肉体の衰えは如何ともし難いけれど。
今年に入ってからは、一日中、一度もアンプに火を入れなくても平気になった自分に、ひどく驚いたりもした。

昨年末来、緊急入院していた義母の世話の問題は、以来、長きに渡って、我が家の動きを制限するものだった。
いつも心の中にひっかかっている事柄があると、気持ちを重くさせるものだが、それも先頃終焉を迎えた。
昨日29日が通夜、今日30が告別式。それまでは妻が実家と病院に通っていたけれど、それも今日で終わった。
世離れシロフロウさんは、冠婚葬祭には一切出席しない主義だから、一週間前に全ては終わっていた。

そういうことが有り、カントリー音楽サイトの運営が力を失い、更新の勢いが衰えたのは、むべなるかなである。
そうは言っても、直ぐにサイトを閉鎖しようとまでは思わないのだがね。←私、やってしまいそうな予感(☆_@).oOO
なにせ、私の音楽サイトは、世に溢れるCDレビューサイトとは一線を画し、独自のスタイルだから存在価値がある。
音楽ファン達が作るサイトとは違い、グラビア写真によって、読者をカントリーミュージックの世界に引きこむ目的だ。

つまり、情報と知識提供型の、従来から有る音楽サイトではないところが良いのだと、自画自賛している次第。
シロフクロウ語録に言うように「知識は技術に負け、技術は情熱に負け、情熱は愛に負ける」のである。
シロフクロウさんの中では、人間の力において、知識なんぞは最下等の部類であり、たいした意味を持たないのだ。
歌手達のプロフィールだの歌のスタイルだの、曲名だの、歌詞だの、ジャンル分けだの、それがどーした!

オーディオファンとして、女性ボーカルを好むものとして、心の琴線をふるわす音楽との出会いにおいては、
知識なんぞは、何の意味合いがあろう。
ある日、ある時、自分の求める女性歌手との、電撃の出会いがあって、その時、雷に打たれたごとき衝撃を受ける。
そういうときに、音楽と出会う幸福は完結するのである。そのためにも、音楽に飢えていることは大切なのだ。


☆71話=2009年2月26日・☆新時代・ボーカロイドによる音楽製作

音楽ソフト「初音ミク」が、音楽業界で注目を集めているいうニュースをネットで読んだ。
アンドロイドならぬ、ボーカロイドとも言うべき、人間の声を元に合成した歌声を使うのがミソらしい。

私もMac・Computerを使い始めた大昔は、音声ソフトを購入して、日本語テキストを読ませたりしていた。
音声や画像を扱うことでは、昔からMacは優れており、ウィンドウズを凌ぐ。音楽製作ソフトもお手の物だったのだ。
私のサイトでは動画と音声は使わないことにしているから、最近は手を出してはいないけれどもね。

仮想の女の子の声を使うというのは、使ったことが無いが、普通の音楽製作ソフトなら、私も見聞したことはある。
作曲なんてすることはしなくても【クラシカルな曲】とか【ポップな曲】をマウスで選択すれば、メロディが書き込まれ、
リズムセクションにドラムを入れたり、荘重なパイプオルガンの音を、通奏低音として選ぶのも自由自在なのだ。

勿論、自分が何の楽器をいじったことがなく、演奏できなくても大丈夫。世の中の楽器の全てを演奏できてしまうのだ。
どうしても、自分も参加したければ、下手な歌声で、合いの手を入れるがごとく、
「♪これで私もぉ〜♪ミュージシャン〜 ♪」と、一節唸れば、それも楽曲の中に入るのだ。一声ウーッ!と唸るのも可だ。

音楽ソフト「初音ミク」の話しに戻るが、自分の悪声や、下手な男の歌声より、可愛らしい女の子の声がウケるのは当然だ。
そういうことで、仮想アイドルに少女のような声で自由に曲を歌わせることのできるソフトは、ウケまくったということだろう。
ソフトの発売元は【音楽ソフトとしては異例の4万本以上の大ヒット】と言うが、通常は千本売れれば上出来なのだそう。

そして実用例として、無名ミュージシャン「absorb」が、このソフトを利用して成功した。
ミクの歌【桜ノ雨】という曲を発表したのだが、既に閲覧数100万を超えたそうだ。なかなかの注目度ですね。
近年のミュージシャンは、ユーチューブのような動画サイトで、デビューを果たすことも多い。
動画サイトに投稿して脚光を浴び、話題を呼ぶ例は、他にも有るようだ。私の旧式MacOS9.2では一切見られないが。

さて、ミクを開発した札幌市のソフト会社「クリプトン・フューチャー・メディア」の広報によれば、
ソフト購入者がミクで作成した楽曲をネット上で自由に公開することを認めている。同社の伊藤博之氏のコメントでは、
「著作権でがんじがらめにしたら文化は育たない。ミクと動画サイトの存在が新しい才能の追い風になってくれたら」と言う。
そうか、なかなか先見の明がある社長でありますね。世の中、あれもこれも保護主義に覆われていては、発展が無いだろう。
社長の言に賛同した後で【初音ミク】の静止画像を見たら「無断複製を禁じます」とあった。チョイとガッカリした(笑)

著作権が重要であることは解った上で、モノを言うのであるけれど、短絡的に著作権を持ち出すのは一考を要する。
そもそも、著作権を主張する者達は、その守銭奴的思考によって、自分達の可能性を閉ざしていることもあろう。
つまり、著作権保護というものは、普及を阻害して、両刃の剣となる面も持ち合わせていると、私は考えているのだ。

解りやすく言えば、市民レベルでの便利さを損なうまでして、一企業、一個人の利益優先の社会は、健全とは言えない。
個人の幸福というのは、既に構築された社会からの、様々な恩恵を受けているのに、その個人がですよ、
こと、自分のアイデアとか著作権だけは、社会に還元しないというのは、やらずぼったくりの精神で、腐っています。
ある程度は、個人の利益を尊重して利益還元をすべきだが、物事はすべからく、やりすぎというのはよろしくない。

現代のComputer技術の先端を走っている者達は、【情報はタダで手に入れられる】ということを是としている。
それ故に、彼等の自由な競争原理も働くのだし、そういうデジタル自由世界の情報社会が、世界最先端技術を謳歌している。
かたくなな保護主義を良しとする社会は、おいてきぼりを食らう運命が待っていよう。自制すべきだ。


☆70話=2009年1月25日・新年の四方山話☆Becky Schlegel/ベッキー・シュレーゲル

昨年末の69話で身体を壊した話をしたが、新年もノロ・ウィルスらしき病気に冒されてしまい、ひどく苦しんだ。
常人なら2〜3日で回復するというが、シロフクロウ仙人は体質面でも常人ではないから、治癒まで4日間もかかった。
度重なる病苦で、かなり身体が傷んだらしく、その後に肝臓が腫れてきたことからも、相当のダメージが有ったようだ。

それでも、カントリーミュージック・サイトの更新は、ちゃんと出来ていました。fukuroo3さん、アンタはエライ!。
だれも褒めてくれないから、この四方山話で、自分で自分を褒めておくことにする。たまには自己愛に浸りましょう(^^;)ゞ 。
CDは沢山買っていないし、さほど気に入ってないものもあるから、更新したページ数は多くはないが、継続は出来た。

で、振り返ってみると・・、とはいっても、まだ更新予定のページはあるのだが、ここまでの経緯分析をすると、
女性歌手の好みも、年々許容範囲が狭くなってきているのではないかと、自分のことを心配しています。
本来私は、雑食性音楽好きを標榜し、それを良しとしてきたのだけれど、歌手の好みが偏ってきたように思うのだ。

【女性歌手応援サイト】として、あまり偏ることなく、普遍性があると思われる歌手のCDを紹介していくなのべきだが、
CDディスクを購入する時点で、自分好みのフィルターを通過して選別されてしまうことは、好ましいことではないかも?。
しかしまた一方では、還暦を過ぎると、この先、さほど音楽を楽しむ時間が取れるとは思えなくなってきているのだから、
この先、好きな音楽だけを聞いて過ごすべきだ、という気持ちも出てくる。

つまり、音楽を楽しむことに制限を加えたりしなくて良いという、ごく当たり前のことに思い至ったりするのであります。
そうよね・・・、無理して好みではない歌手の歌を、しかめっ面をして聞くことはない。
自然体にまかせて、気負いもなく、カントリーの女性歌手達のCD紹介をしていけば、それで良いのだと開き直ろう。

さて、昨年末にBecky Schlegel/ベッキー・シュレーゲルのCDを三枚買った。以前にも3枚買っているお気に入りの歌手。
この四方山話を書いている時点では、まだ、新着3枚をメインページに掲載していないのだけれど、
良く聞き込んでから、記事を書こうと思っていたら、一月末になってしまいました。そろそろ、アップロードしなくては。

ベッキー・シュレーゲルの紹介記事では、彼女が自己規制をかけすぎて、ふっきれていないのが不満だと書いている。
初期のCDが最も良くて、後期作品になると、欲求不満になる歌を唄っていることに、なんともったいない!とも思った。
それが、今回買い求めた3枚のうち、2008年の2枚のCDでは、解き放たれたように心地良く歌っている。

純ブルーグラス路線から、少し距離を置いた、昨今の女性歌手達のオールドタイム・ナンバーのリバイバルのせいなのか、
ベッキー本来の透き通る美声で、思う存分に歌っているところが好感度が高くて、この2枚はお薦めです。



☆69話=2008年12月19日・来年の音楽サイト運営

悲しいことに、人間は精神だけで存在していないから、身体を壊せば、音楽を楽しむことにも影響が出てしまう。
せっかく、僅かな年金を手にする身分になったのに、今年は、妻の好きな海外旅行にも行かなかった。
そのぶんは鉱石を買い集めたりして、今年は【鉱石サイト】も新開設して、それなりに楽しんでいましたが。

それでは、私が運営するサイトの中で、最も内容が充実している音楽サイトはどうだったかというと、低調でした。
この四方山話からして、番外編の話が増えていますものね。今、過去記事を見ると、この点は如実に現れている。
CDとDVDの購入枚数も減ったし、購入しても掲載記事にすることなく、サイト記事にならなかったものも多い。

今年、起きてしまった過去を総括しても、楽しくないから、来年の抱負を述べることにしましょう。
まさか、この身体で、ナッシュビルに再度行けるとは思えないから、本来活動であるディスク情報が主となろう。
来年の【女性歌手応援サイト】としては、カントリー以外の歌手も、積極的にメインページに掲載していこうと思う。

音楽に国境は無いとか、言葉の壁は無いとか、様々に形容されているように、
女性歌手であるということの共通点を見いだせば、ひとくくりにして、カントリーの女性歌手達と共にCD紹介をしていこう。
北欧系のポップス歌手などは、美人で可愛くて、ビジュアル的にも優れた女性歌手が多いしね。

世の音楽好きの男性諸氏が、疲れた心身を癒すにあたり、姿も声も美しい女性歌手達の歌声を求める傾向は、常に有る。
シロフクロウさんのサイトの特徴として、鉱石のサイトだろうが、シロフクロウ日記だろうが、全ての記事の共通項は、
写真を使って、視覚に訴える【グラビアサイト】であることだ。これは、私が運営する全サイトの基本理念でもある。

てっとりばやく言うと、誰でも美人は好きだ!ということになってしまうのでありますけれど、
大丈夫です・・、いくら美人でも、あまりに歌が下手ですと、CDを買いませんからね。一定水準は保ちます。
美人の姿と歌声を楽しむのに、国境の壁も言葉の壁も無い!ということに尽きますけれど。2009年は頑張ります!


☆68話・番外編=2008年11月8日・写真をアートとして加工して鑑賞する

生の音楽とオーディオ再生については、既に語っているけれど、写真をアートと捉えることが出来ないのは問題だ。
風景写真に対して、素人写真の集まりでは、単にお天気が良いと、良い写真が撮れるという類のことであったりする。

私のオーディオ趣味では「生の音楽よりも、さらに楽しく聞けなくては趣味のオーディオとは言えない」と、明言している。
ここでは、元の音楽を破壊してまで、新しいものを創造するということまではしない、ということなのだ。
だから、緑の葉を赤く紅葉させるような写真加工はしないが、曇り空の悪影響をアドビ加工で取り除く程度の工作はする。

写真という表現世界には、報道写真とか社会派とか、様々な形態が有るのだけれど、私が撮影する花の写真とか、
風景写真の世界にも、アートとして捉えられるべきものは存在する。
風景を切り取る【構図】という行為からして、既にアートであり得るのだが、そのあたりを、少し、語りたい。

天気の良し悪しは、運の良し悪しであって、上手い下手では無い。運が良いシャッターチャンスを得た者の勝ちなど不毛だ。
そんなことでは、宝くじに当たったか、外れたか!という類の話であって、えらく低次元の話で終わってしまう。
運の良し悪しを語り合う写真展など、ギャンブルの勝ち負けの話みたいで、そんな写真展などは、アートとは無縁だ。

「この写真は自分の作品だ」と言うからには、出来上がったものに、作者の感性が投影されなくてはアートとは呼べまい。
それが私の芸術観であるから、生そのものをドンッ!と目の前に出されても、鑑賞する行為は特異なものになる。

解りやすく説明すれば、十和田湖の紅葉写真を、アドビ・フォトショップ加工する場合だが、
新緑時の写真を秋の紅葉写真に加工することも【アートとしては有り】なのだと思う。私はそこまでやらないけれどもね。
生の十和田湖を芸術と見るのは、女性のヌードそのものを芸術と見るのと同様で、それはそれで勝手に鑑賞してくれ。
しかし、生のヌードや景色を、有るがままに記録する行為は、アートとしての存在意義は薄いと、私は考えるのです。

そういうことだから、デジタル時代を迎えた現代では、フィルム時代と違って、誰でもが画像加工できるのであるから、
作者の感性を投影させるべく、それなりの写真加工をする行為は、必須であるとさえ言えるのでなかろうか?。

便利な時代になったぶん、写真作者としては、最終的に仕上がった写真に対して、全責任を負うという覚悟が必要だろう。
現像焼き付けを他人に任せていたフィルム時代には無かった、新時代の写真の捉え方をしないと、時代錯誤になろう。


☆67話=2008年10月21日・復活したオーディオから学び取ったこと

掲示板オフ会旅行から帰った次の日、DSP-3000プロセッサーの修理品を受け取り、10月19日から再度使い始めた。
私がプログラムした音場は、長年、私の音楽再生にとって特別な意味合いがあったが、故障後は修理を諦めていた。
そのへんことは、この四方山話64話【2008年7月30日・音楽に飢えるまで待とうホトトギス】で語っている。

ところが、楽しく聞けない音響になったから、四ヶ月経っても、五ヶ月経っても、音楽に餓えてこないのである。
DSP-3000プロセッサーの無い音響では、物足りなくて、全く音楽を聞かない日々が、延々と続いてしまいました。
そこで考え直して、駄目でも良いから、製造元のヤマハ社に、DSP-3000の修理依頼をしてみることにした。
ついでに、ネットオークションで、DSP-3000を、もう一台手に入れて、ヤマハ社には2台を送ってみた。
私の考えでは、二台のパーツをやりくりして(主婦の家計かよ!)一台が動けばよいと思ったのだ。

ヤマハの修理担当からの連絡では、オリジナルパーツは無くても代替品は有るという。つまり、2台とも修理可能だ。
プロセッサーはアンプではないから、オリジナル部品は無用で、音場プログラムが作動すれば事足りるのである。
結果的に、2台共にオーバーホール済みとなって、私の手元に届けられた。もし、一台がコケても、スペアが有る。

今、復活したシロフクロウさんのJBLパラゴンのサラウンドシステムを、二日間に渡って聞いているのですが、
ふと、気付いたことがあります。
この【ふと、気付く】というシチュエーションは、私にとって、悟りの境地に踏み込むがごとき事象であり、
なかなか、侮れないものがある。あ!いや、自己満足に浸っているバヤイではないな。そのことを、サッサと書こう。

私の好む心地良い音響というものは、按摩の心地良さに似ている・・と、そう思ったのだ。
ええ、ま・・ふと、気付くというか、突然に、そのようなことが脳裏をよぎり、気付かされたのだった。
オーディオマニアの目指す音を二種類に分けるとすれば、シロフクロウさんの音響は、按摩の快感なのだね。
もう一種類のオーディオ音響は、技術志向の音というか、昨今流行の、ピュアリズムに傾倒した音響になろう。

按摩の心地良さに通じる、私の好む音響は、重箱の隅をつつくような、オーディオマニア的な音響ではない。
私のオーディオ観では、オーディオで音楽を楽しむ行為は、生音楽コンサートよりも楽しくなくては本物では無い。
いつまでも、生の音楽が最高だと思っている人は、オーディオの楽しみ方を知らない門外漢である。

技術志向のオーディオとか、生音楽を参考にして、いつまで経っても生のコンサートには敵わないと思っている人達は、
オーディオをやる資格は無いというか、そもそも、出発点が間違っているのだ。
勿論、そのような嗜好を持つオーディオを全面否定はしないが、そういうオーディオは不毛だし、永遠に満足しない。
私の信念としているところを、忌憚無く述べれば、
オーディオとは、生音楽の代用品などではなく、さらに上を目指すことさえ可能な、別物の芸術活動であるのだ。

写真や絵を例に取れば、生の人物や生の景色には敵わない、という視点を持つ人は居ないだろうに、
こと、オーディオだけにかぎって、何故にこれほど、長年に渡って、生の音楽との比較論争が無くならないのか。

生の人物や生の景色は、それ自体はなんの芸術性も持たないが、
そこに絵なり、写真なりの、人間の行為が関わって、創造者の感性が介在することにより、別の価値を持つ。
よって、人には、それぞれの感性があり、100人100通りの芸術性が生まれるのです。

シロフクロウさんの【心地良く按摩されるがごとき音響】とは、心を揉みほぐして、リフレッシュ効果がある。
つまり、聞く人を幸せにする音響と言い換えても良い。それは、モーツァルトの音楽にも似ており、
接した人を幸福感に包んで、別世界に運んでくれる効果があります。このような芸術性は、分野を超えて存在する。


☆66話=2008年9月30日・カントリー・グランド・オールオープリーの古い映像集

Opry Video Classics - Classic Live Performances DVD
カントリーミュージック創成期を彩った歌手達が、グランド・オール・オープリーに出演しているDVD集8枚組です。
なんとまぁ、2008年になってようやく、モノクロ映像ではあるが、往時の歌手達が歌っている映像を見られました。
カントリーミュージックはロック音楽よりも古くから存在し、アメリカ音楽のルーツの面影も残しています。

今でも愛聴しているパッツィ・クライン、カーターファミリーなどが、若い当時に歌っている映像はありがたかった。
もっとも、飛行機事故で亡くなられた歌手は、年老いてからの映像が無いから、若い当時の古い映像しか残っていない。
近年は髭面の爺さんとして知られるウィリー・ネルソンが、このDVDではスーツを着て歌っているのには、唖然とした。

私がカントリー音楽に親しんだ頃は、もっぱらラジオから流れる歌しか知らないわけで、動画はおろか写真も見たことがない。
それが今は、ホームシアターの100インチスクリーンで、グランド・オール・オープリーで歌手達が歌う様子を見ているのだ。
このオジサンは誰かね?とか、この兄さんは、なんという歌手か?なんてのが、次々とステージに登場して歌い始めると、
「おおっ!アンタだったのか!知らなかったわい!」という状況が、何度も有った。私は男性歌手は良く知らないのだ。

で、女性歌手達もまた、エラク若い娘が出てきて、ヒット曲を歌い始めるのだが、こちらは私の専門だからウルウルと眺める。
声が若くて溌剌としているが、いかんせん、録音技術がローテク時代ですから、音質が悪くて今とは雲泥の差なのが残念。
私の永遠のアイドルであるドリー・パートンが、20才そこそこで登場して歌い始めると、キラキラと輝くような声質だ。
今でも、さほど声の衰えは無いように感じているけれど、若いときのDolly Partonは、輝く高音を持っていたことに気付く。

ただ、最初に申し上げたとおり、ローテク録音技術での収録映像だから、いかんせん歯がゆいところはあります。
当時はノンビリした時代だけに、グランド・オール・オープリーの舞台は、アーリーアメリカンの住宅玄関とか、
あるいは住宅のテラス、そしてまたあるときは牧草の干し草を固めたものを配置するなど、ホンワカとした設定で歌うのだ。
日本の熟年世代に説明するなら、白黒テレビ時代に【シャボン玉ホリディ】で、ザ・ピーナッツが歌うのを見る感じです。

そんなわけですから、8本のDVDを続けざまに観ていると、画面のかったるい進行状態に眠気を覚えたりします。
時代の感覚差というのは、随分と違うもので、たとえば、昔は笑えたギャグなど、今見ると、全然面白くなかったりする。
だから、このDVDに収められた、昔のカントリーミュージック映像を、見た人全員が楽しめることは無いだろう。

でも、往年のカントリー・ファンを初めとして、数多くの人々が、小さくない感動を受ける映像集でもある筈だ。
あるいは、私のように、こういうDVDが発売されるのを、長年待ち続けていたという人も居るだろう。
多くの日本人が、昔は見ることが叶わなかった、カントリー・スターが網羅された8枚組DVDセット!是非ご覧下さい。


☆65話=2008年8月26日・音楽から垣間見るオリンピックのお国ぶり

まだ北京オリンピックの余韻が残っています。二日前に閉会式が終わったばかりです。
世界最大のスポーツの祭典ですから、沢山の感動と、知られざるさまざまなドラマが生まれたことだろう。
古代オリンピックと違って、新体操などの現代スポーツは、音楽と密接に繋がりがあるものが増えてきた。

まして、開会式や閉会式ともなれば、映画と同様にオーディオ&ヴィジュアルの祭典と言ってもよいくらい華やかだ。
よって、映画監督が式典のクリエィターとして脚光を浴びるようになったのは、時代の流れであろう。
戦前のナチス・ドイツによるベルリン・オリンピックでは、国歌の威信を示すために、様々な新趣向が取り入れられた。
現代では、回を重ねる毎に華やかになってきて、当然ながら音楽の重要性が増し、効果的使用は必須事項となった。

ということで、本題に移る・・
北京オリンピックの式典で登場した中国人音楽家は、国民的歌手とはいっても、誰も知らないという人が多かった。
中国はまだ発展途上国であるということが言われたりするけれど、ことに音楽では、世界一流とはいかない。
よって、国際的に知名度の高い中国人俳優が登場したり、欧米の有名歌手が助っ人として駆けつけた場面も見られた。

日本で言えば、昔の万博で三波春夫が東京五輪音頭とかいう、盆踊り歌を歌ってテーマソングにしたけれど、
当時の私が感じたことは、三波春夫が着物を着て盆踊り歌を歌っても、欧米から万博に訪れた観客にとっては、
なんじゃこの変なオジサンは?ヘンテコリンな節回しの歌を歌い、ダンスとも言えぬ変な手振りを付けて笑っている?
と思われるだろうし、この歌の何が良いのだか、サッパリ解らん。と、思われやしないかと心配したのだ。

だから、北京オリンピックの閉会式で、中国の国民的な女性民謡歌手達が何人も登場した場面など、
なにやら子猫がキャアキャア!と泣きわめくような歌を歌っても、自分的にはなんだかなぁ〜と、醒めてしまった。
その時私は、万博の三波春夫とオーバーラップしたのだ。中国人にはウケていたろう、とは思うんだけれどもね。

閉会式も終わりになって、次回オリンピック開催地のイギリス・ロンドンでの宣伝セレモニーが始まった。
ロンドン市内を走る二階建てバスが登場し、有名サッカー選手のベッカムがバスの上に立って、ボールを蹴ったけれど、
そんなことよりも、私がおおっ!と驚いたのは、LED ZEPPELIN(レッド・ツェッペリン)が登場したことだ。
私はCountry music 愛好者だから、ロックはさほど聞かないけれど、レッド・ツェッペリンの有名度は知っている。

ツェッペリンのメンバーであるジミー・ペイジは、白髪の爺さんであるが、実にカッコ良かったのだ。
このカッコいい爺さんがギターを唸らせて、一緒に登場したLEONA LEWIS(レオナ・ルイス)と共に盛り上げたとき、
それまで演奏された伝統の中国音楽文化に比べると、一気に自由の扉を拡げて世界に羽ばたいたように感じてしまった。

解りやすく言えば、古い民族絵巻的な音楽に覆い尽くされていた閉会式の空気を、ジミー爺さんのギターが解放したのだ。
中国伝統音楽やクラシック音楽畑に彩られた音楽シーンを、ジミー爺さんのギュィイーン!!のギター音がブッ飛ばした。
「大衆の好むスポーツ祭典にはヨ、俺の音楽が一番だぜ!」とでも言っているような気がした。

そして、その北京五輪閉会式を、ロンドンのバッキンガム宮殿周辺で、約4万人の市民が集まって、熱狂して見ていた。
次回のロンドン五輪は、予算こそ北京五輪の半額となるらしいが、当局の規制が強かった北京とは対照的な大会になろう。
なにせイギリスはビートルズを生んだ国であり、世界の有名ポップス音楽家が、キラ星のごとく排出されているお国柄である。
英国人によるオリンピックは、小さくても中身の濃い、優れたオリンピック大会開催を、世界に示すことができるだろう。


☆64話=2008年7月30日・音楽に飢えるまで待とうホトトギス

このところ、オーディオサイトと音楽サイトが低調です。サラウンド用のプロセッサーが壊れたからで、
私の芸術性の根源となっているオーディオ不調なのですから、当然ながら、音楽が楽しめなくなってきた。
不調といっても、サラウンド系統が思わしくないということだけで、普通のステレオ装置としては何の問題も無い。
問題がないどころか、世の中のオーディオ・ファンの99%は、このような普通のステレオ装置で聞いているのですから。

であれば、なぜ、この状態で音楽が楽しめなくなったのかというと、これがまた他人に説明するのは面倒な話となる。
オーディオファン達が言うところの、良い音が聞けている状態だけでは駄目で、
それで何が不足しているかというと、佇まいがよろしくないとでも言おうか・・。
つまり、女性に喩えていうと、以前となんら変わらない美しい恋人であるのに、こちらを官能の世界に誘わないのだ。

普通の2チャンネル・ピュアオーディオと、私の創った6.1チャンネル・サラウンドシステムの違いは、音楽の動きの違いだ。
音楽は時間芸術であるから、時間と動きは連動するものであり、その動きの中にこそ、音楽芸術の美しいきらめきがある。
絵や写真のように静止した芸術とは隔絶した美しさは、そういう、直ぐに消えてしまう一瞬の動きの中に真理がこめられている。

ここで、私の哲学を展開してもいけないと思うから、単純化した物言いに変えたほうが良いだろう。
端的に言ってしまうと、音楽という美人が踊ってくれるか、ちょっとしなをつくって、ウィンクくらいはしてくれるか、なのだ。
さらに程度が低くなると、お澄まし顔で静止画のようにポーズをとっている程度であるか。その辺の違いなのである。
エンターティナーは、踊って歌って演技して、ということが言われるが、突っ立っているだけの美人は、もの足らない。

タダの2チャンネルオーディオでは、美女は踊ってくれることは希だ。いや、私の体験ではおおかたの人々の音響は踊っていない。
絵描き(オーディオ・ユーザー)に向かってポーズをとってくれるモデルさんというのが、普通のオーディオ音楽とすれば、
サラウンド・システムが追加された2チャンネル・オーディオになると、絵のモデルではなく恋人となって、接してくれる。
時には寄り添い、時にはダンスを踊って見せてくれるし、私が何もしなくても、恋人の方で一生懸命に尽くしてくれる。
そういうオーディオによる音楽を、私は理想として実現してきた。

今の装置はというと、私の方からセッセと働きかけをしないと、音楽を楽しめないという状況になったのだ。これは物足りない。
いままでは、身の回りの世話をやかれたり、あれやこれやと気配りをしてくれた美女が、突然、立場を逆転させたようなものです。
オーナーたるシロフクロウさんのほうから、積極的に音楽を聞きに行くという姿勢を保ち続けなくてはならなくなったのだ。
面倒を見てもらう方と、面倒を見る方と、どちらが好みかといえば、
私だって美女に面倒を見てもらう方が楽しいに決まっている。人によっては、美女の世話をするのが好きな御仁も居るだろうが。

解りやすい説明をすれば、以上のような事情なのだ。
大切なことは、その美女の踊りが、いつも同じではないというところに、私の創った6.1チャンネルサラウンドの真骨頂がある。
ワルツ、タンゴ、ルンバ、等々、様々な種類の踊りを、臨機応変に踊ってくれて、飽きさせずに楽しませてくれていたのだ。
それが、突如、踊れなくなってしまった。美人であるから、眺める楽しみは変わらないものの、以前との格差は大きいのです。

そういうことなのでありますが、これの対処法は【時が癒してくれるのを待つ】しかないと思っています。
食欲に喩えれば、飢える時がやってくるまで、音楽から遠ざかるのが、一番良いでしょう。
グルメ三昧を謳歌していた人間が、飢餓にさらされると、どんな粗末な食い物でも食えるようになる。そういうことです。

☆63話=2008年6月27日・【美しいものへの憧れ】が全て【鉱石サイト】も然り

シロフクロウさんのサイトは、オーディオや女性歌手やブナの森や焚き火など、多岐に渡っているようだが、一貫性がある。
私の全てのコンテンツの源泉になっているものとは【美しいものへの憧れ】に他ならない。ここは最重要命題です。
今日は、新しく創設した 【鉱石のウェブサイト】のことを書くので、この四方山話からすれば、番外編ということになるのだが、
根底に流れるものは、美しいものへの憧れであるから、なんら違和感は無いのだ。関連性があるどころか、本論そのものである。

私の鉱石サイトが世間のミネラルサイトと隔絶しているのは、学術解説を少なくして、美しい鉱石&宝石を愛でるということだ。
面倒なことを言わず、美しい鉱石の写真を眺めて、なんてキレイなんだろう!と、感動してくれれば、それで良い。
恋をするのに理屈もなにもなく、突然好きになるのと同じように、始めて私の鉱石サイトを訪れた人が、眼を見張ってヒトコト・・
「わぁ!き・・れ・・い・・」と、思ってくれたら、それで私の努力は報われるのだ。

なんだ!これは!、たかが石ころじゃねーか!と思った方は、サッサと退散願うことにして、目を見開いて感動した方は、
その時【恋に落ちた】ということであり、その中には、泥沼にハマって鉱石ファンになる方も、少なからず居ると思う。
一旦恋に落ちた貴女&貴男の行く末なんぞ、シロフクロウの知ったことではない。恋は盲目と申すではないか。
モノが見えなくなるほど、鉱石の世界にどっぷりとハマった方は、重度の恋煩いみたいなもので、対処法はあるまい。

つまり、ハマり度と盲目度は、限りなく一致するのだからして、めでたくもあり、気の毒でもある。
幸福の度合いと、不幸の度合いは、DNA螺旋構造のごとくカラムーチョして、貴方を陶酔の世界に導くのである。
なにごともそうだが、モノにハマるということは、そういうものである。美しい鉱石は欲しいが金がないとか、
田舎に住んでいるから、都会のミネラルショーに行けないとか、奥様の目が怖くて、ナイショで鉱石を隠すとか、
ありとあらゆる艱難辛苦が待ち受けるという仕儀になるのである。一言でいうなら、煩悩の世界まっしぐら!であります。

いいじゃないの、せっかくこの世に生まれてきたからには、一度か二度、煩悩の炎にボッ!と焼かれたほうが幸せなのだ。
おっかないママに、あれしちゃ駄目、それも危ないから駄目、などと、禁止事項有りまくりの介だった男の子など、特に、
鉱石の世界にオタク・デビューする素質は充分といえる。恋物語に縁が薄かった乙女もまた、鉱石オタクになりたまえ!
そこは煩悩が渦巻く世界ではあっても、人の恋のように裏切り行為も失望も無い。有るのは無知による購入失敗くらいだ。

鉱石の結晶とは、高純度そのものであり、だからこそ「愛の結晶」だとか「苦労の結晶」という物言いで使われるのだ。
私の鉱石サイトはモノを扱っているが、その真髄は純粋に美しいものへの憧れであって、虚栄心とは無縁の世界である。
宝石を身に付けて、お洒落をする行為は、私の鉱石サイトとは、似て非なる趣味であり、別の世界の人々のことだ。
再度言う!この世に生まれてきたからには、こういう純粋なる世界に没入し、煩悩の炎で心身を燃やし尽くしたまえ!

燃えかすをブスブス言わせて、文句タラタラ言いながら生涯を送るのを止めて、キチンと完全燃焼してから死にたまえ!。
鉱石の代表選手であるダイヤモンドなんて、100%純粋な炭素だ。ダイヤのように燃えかすを残さずに生涯を全うしましょう。
趣味の世界としては、まだ一般的に普及しているとは言えない鉱石趣味だが、完全燃焼できる趣味のヒトツである。


☆62話=2008年5月28日・DSP音場創製機、DSP-3000を追悼する

ヤマハ製のDSPプログラムは、音楽再生において一大変革をもたらしたソフトウェアであった。
世界最初に、このプログラムを搭載した機械はDSP-1であったが、シロフクロウは真っ先に飛びついて買い求めた。
既に作動しなくなっても処分せずに自宅に保管してあるが、DSP-1は実験機というべきデザインの、無粋な黒箱である。
しかし、実験機ではあっても、そのコンセプト内容は斬新であり、なんら不足のないものであった。

付け加えておくが、四半世紀前は、今ほどオーディオに音場というものが重要視されていなかった時代であった。
それでも、私は、当時からオーディオ界に蔓延していた【ピュアリズム】というべき思想には、全く賛同していなかったし、
音楽とは、もっと楽しく聞くべきものであるという思想を持っていたので、以後、DSP-1を愛用して止まなかった。

第二弾として発売されたDSP-3000は、DSP-1に比べて完成度は格段にあがり、申し分のないオーディオ製品であった。
しかし、当時、既にDSP再生のなんたるかを知っていた私は、急いで DSP-3000に買い換えることはしなかった。
ようやく、DSP-3000に取り換えたのは、発売中止になってから中古で買い求めた。やはり、基本性能は同じであった。

オーディオ用音場プログラム創製機というものは、ソフトウェアが命であって、
それ自体でメイン音響を良くするという手合いのものではないから、機器内に使われた素子には、こだわりはなかった。
私の使用方法は、メーカー指定ではなく、通常の2チャンネルオーディオには全く手を付けないものです。
誤解を承知で言えば【付帯音】として、前後の4チャンネルを利用していた。サブウーファ付きなので、疑似6.1CHです。

そして、今月初めにDSP-3000が逝った。とうとう、最後に残された2チャンネル・オーディオ用のプロセッサが消えたのだ。
現在では、2チャンネル・オーディオ用プロセッサは発売されておらず、代替品としては、アンプ内蔵のAVアンプのみだ。
そういうことで、以前から買い求めたものの、機能が失われていることに落胆して取り外したDSP-AX-2500を明日から使う。
四半世紀前のDSP-3000中古を再度求めるのは諦めた。早晩・故障して使えなくなろう・・、30年以上無傷ではいられまい。

DSPを追悼すると、私の2チャンネル・オーディオ・プログラムは、手前味噌ながら、実に表現力豊かであったと思う。
世界のどこにもない、フクロウ独自の音響世界だったのです。
随分以前に、水戸から訪ねてきたオーディオ好きの人は、シロフクロウのDSP音響を聞いて、次のような感想を言った。
「私のところでは、フローリング敷きの広い部屋なので、こちらよりも、もっと音が反響します」

解っておらん人だと思い、ほおっておいたけれど、この人はDSPソフトウェアによる再生と、反響&残響音とを区別出来ない。
DSPによって創造される音場感と、自然に出来た部屋の音場感とを、いっしょくたにされてはかなわない。
ことほど左様に、私の部屋で実際の6.1チャンネルによる2チャンネル・オーディオDSP再生を、他人に聞かせてやっても、
まったく聞き取る耳を持ち合わせていない人は多くて、10人がフクロウの巣穴を訪れても、全員が理解していないようだ。

私としては、自分自身が納得して、これで良し!と自信を持って創造したDSPパラメーターであるから、私さえ満足すれば良い。
人様のためのオーディオ構築をしている訳ではないから、誰にも理解されなくても、一向に構わないのである。
ところが、フクロウの巣穴を訪れた誰もが理解しなくても、私の伴侶である旦那フクロウだけは完全に理解している。それで良い。
つまり、2チャンネルDSPを未体験の人にとっては、数時間聞いた程度では、その片鱗を知るのみで、真価は理解されない。

☆61話=2008年4月28日・四方山話も61話となり、増ページ対策をします

毎朝の恒例で、当家の旦那フクロウを駅まで送迎しているのだが、「四方山話はまだですよ」と、念を押された。
そういえばそうだった・・、この頃は、全てに頓着しなくなったし、良くも悪くも執着心が無くなってきた。よろしからずだね。
恒例更新も、ノホホンとしているうちに、期限が来てしまうことは良くあるのです。しなくても一向に構わないけれどね。
原稿料を貰っている作家でもないし、ノルマが有るワケでもない。

旦那フクロウには、いつも、「書くことは、いくらでも有るんでしょう?」と言われる。それはそうなのだ。
ほおっておけば、朝から晩まで365日、毎日書いても、書くことは山ほど有るのがこの私。その全部を書かないだけのことである。
そういうワケだから、キーボードの打ちすぎで、一ヶ月ほど前から腱鞘炎になってしまい、右手が痛くて、主夫業に差し障りがある。
腱鞘炎が右手だけというのが可笑しいけれど、左手は地方自治体並みに3割自治であり、大方の作業は右手だから、こうなる次第。
未だにキーボードをブラインドタッチで打てないけれど、そもそも練習する気もなかったし、右手7割に左手3割でも充分に早打ちだ。

あらっ!ウダウダと書いているうちに、最初に書いたタイトルとは、全く違う話を書いてしまっていることに、今、気付いた。
まぁ、いいやね。書き終わった後で、タイトルを書き換えれば良いだけの話だ。なにせ、このページは四方山話というくらいだから。
そして今日、この四方山話が、第61話となった。(O_o)WAO!。記事が増えて、困っちゃう・・、またもう1ページ別保存するか・・
今までは、30話を一束にして、【yomoyama.archive】というのを作り、トップページには【古コラム保存】と表示しておいたのだが・・。
よし!今後は、こんな具合にする→ ←四方山話1話〜30話 コッチはこんな風に→ ←四方山話31話〜60話

なんだか間に合わせ的で、自民党法案みたいやね。ま、いいや、今は腱鞘炎なんだしさ、面倒くさいことは止めることにしましょう。

なにも、このめでたい日に、面倒なことをするこたぁ無いデスよね。え?何がメデタイって?
この四方山話が3ページに増えたし、今後とも、好き勝手なことを書き続けられる事になったということは、充分にめでたいではないか。
おーし!シロフクロウさんは、これからも、ガンバルぞぉお〜!
では、サッサとタイトルを書き換えて、アップロードしましょう!そうしましょう!←ほとんど、逃避の姿勢だな、(^_^;)\〜(ヤ_ユ) ノ

←四方山話31話〜60話