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☆30話=2005年10月17日・カントリー音楽ファン気質

昨日のアップロードでJamie Oneal/ジェイミー・オニールを紹介する前に、オフィシャルサイトを覗いてみた。
その中で語られているところによれば、彼女がカントリー歌手として出るにあたり、反対する人もいたようだ。
つまり、ロック歌手として売り出したほうが、より沢山のファンを獲得できるし、スターになれるという意見だ。
しかし、ジェイミーはカントリー歌手となることを選んだ。その理由の中に、カントリーファンの存在がある。
カントリーのファン達は、一度支持すると、ずっとファンでいてくれるし、ロックファンのように移り気ではない。
だから、ナッシュビルを本拠地にして、ここを足がかりとして、歌手デビューをするのだ。ということであった。
実際のところ、女性歌手の歌の中身はというと、一般ポップス系歌手やロック歌手達と、区分けは無用なのだが。

私は、カントリー歌手と、そのファン達との関係は、とてもフレンドリーで、他の音楽界とは違うことを、
何度も言ってきた。それは、我々カントリーファン側からも感じられることだが、歌手側も同様に思っているのです。
カントリー歌手達にとっても、ファン達との関係を好ましいものと思っていることを知って、私はとても嬉しかった。
歌手達とて、ファンにしつこくつきまとわれたりすれば、嫌だと思うだろうが、大概はとても親切に対応してくれる。
勿論、ファン側も、そこら辺を心得て、図に乗るということはしないし、それなりに対応しているということだ。
そういう訳で、カントリーファンは誠実だし、無茶なことはしないし、紳士的だという信用が得られている。

さて、そういう事を、私自身が身に浸みて感じたのは、9月23日、ドリーウッドでのコンサート会場でのことだった。
ロンダ・ビンセントは、今やカントリー歌手としても、フィメール・ブルーグラッサーとしても一流の歌手です。
それでも、コンサート終了後に、並んだファン達と話をし、CDアルバムにサインをして、一緒に写真も撮らせてくれる。
私は英語が話せないから、妻に列に並んでもらって話をしてもらい、ついでに私とのツーショットを撮らせてもらった。
コンサート終了後に、50人ほど並んだファンの一人一人と言葉を交わすのは、彼等にも、さぞ大変だと思うのだ。
ロンダ・ヴィンセントとレイジ・バンドはツアー中であり、この日一日だけドリーウッドで演奏し、次の街に行くのです。
移動はバスで、コンサート会場の横に停めてあったけれど、これはバンド・メンバーの二人の男性が交代で運転する。
コンサートの合間に「誰かボランティアで運転手役をしてくれる人は居ないか?そうすればジョシュア達も休まる」
と、ロンダが言っていたけれど、アメリカ各地をツアーするのは、大変な労力が必要だし、疲労も大きいと同情する。
ロンダほどの大スターになっても、殿様行脚が出来ないというところに、カントリー音楽界の真実を見た思いがした。
そしてまた、こんなに大変な状況でも、ファン達との交流を大切にしているカントリー歌手達の心情を嬉しいと思う。
この精神は、アメリカの歌手達に限ったことではなく、日本のカントリー歌手やミュージシャン達にも受け継がれている。
昨日の10月16日に阿蘇山麓で開催された日本最大のカントリーエベントである「カントリー・ゴールド」においても、
主催者のチャーリー氏を始め、日本人カントリー音楽家と、そのファン達との交流は「約束の日」として継続中だ。

☆29話=2005年9月7日・二度目のナッシュビル行き

カントリー音楽を愛好する者にとって、テネシー州の州都ナッシュビルは、一度は訪れたい土地だろう。
私の場合は、オーディオのソースジャンルとして、女性カントリー歌手を選んだ経緯があるので、
純粋なカントリー音楽ファンとは、少しばかりスタンスが違う。ナッシュビルに行けたらいいなぁ〜、
という程度のことだった。しかし、この度は、二度目のナッシュビル行きが実現してしまった。
ナッシュビルなど、日本からのツアーの対象にはなりにくい土地柄だから、個人旅行という事になる。
ここは妻の英語力に頼っての旅行となった。もっとも、南部ナマリの英語はサッパリ聞き取れないらしいが。
飛行機や宿、レンタカーやチケットも、インターネットで予約できたので、便利になったものだと感心する。
今回は私の好きなDolly PartonやAlison Krauss、Rhonda Vincent、Leeann Womack、Terri Clark、など
沢山の女性カントリー歌手のステージを観られることになっている。

そもそも、オーディオを愛好する者達が聞く女性ボーカルとは、以前であればジャズボーカルであったのだ。
他のポップス系女性歌手は、レコード棚に有っても、主流とは成り得なかった。録音が良くなかったからだ。
オーディオ愛好家の多くがジャズとクラシックを聞く人が多く、必然的にジャズ歌手が好まれたこともある。
これには裏事情もあり、ジャズの録音は「良い音で録音されたディスク」が多かったという事情がある。
どんなジャンルに限らず、オーディオを愛好する者達にとって、録音が良くないと、愛好の対象にはならない。
そしてカントリー音楽もまた劣悪な音質で、長らくオーディオ愛好家の対象になるような音楽ではなかった。
LP時代のカントリー音楽では、1970年代までは劣悪な録音が多く、CDに移行する直前に飛躍的に改善された。
そして拙いことに、初期のCDディスクの劣悪音質は、耳を塞ぎたくなるような惨状であったのだ。
近年の一台100万円を超すようなCDプレーヤーでかければ、さほど悪くは無いという例外も有るけれど。

カントリー音楽CDが飛躍的に高音質になった時代は、まだ新しく、今から10年ほど前の1995年あたりからです。
私は近年になって、クラシックよりも、女性ボーカルを良く聞くようになってきたが、音質改善がその理由だった。
ようやく、ここ10年、オーディオの対象として、聴くに耐えるようなカントリー・ボーカルCDが出現したのだ。
男性カントリー歌手を好まない私だが、今回のナッシュビル行きでは、オーディオ愛好家の立場を離れて、
小難しい事柄にこだわることなく、純粋なるミーハーな音楽ファンとして、お気楽に楽しんできます。

☆28話=2005年8月2日・ブルーグラス音楽とフロンティア・スピリッツ

インディーズ系通販サイトからのCDを、次々に紹介している最中ですが、暮らしの中に根付いている音楽だと再確認した。
Bluegrass音楽は、大きくはカントリー音楽の範疇に入れられるが、独特の香りを持っているのは、そのせいでもある。
メジャーなところで君臨する一流アーティスト達のCDだけを聞いていると、見えてこないが、地域に根ざした音楽です。
私はアメリカは宗教国家だと思っているけれど、インディーズ系では多くのゴスペルを歌うブルーグラッサーが活躍している。
そしてまた、彼等の音楽活動拠点は、おそらく地域のキリスト教会であろうことは、容易に想像できるのである。
そういう音楽家達に共通する特徴は、アパラチア山系に歌い継がれてきたマウンテン・ミュージックに根ざしている事だ。
映画Song catcher(邦題=歌追い人)を観ると、時代背景からも読みとれるのだが、人々の暮らしと共にあった音楽です。
ただ、私のサイトにインディーズ系のブルーグラッサーを、紹介したものかどうか、躊躇しているところです。
音楽だけを取り上げれば、完成度が高くはないし、歌が下手な歌手も居るからです。ただ、演奏の方はみんな申し分ない。
日本でもそうだけれども、私がティケティケ・オタク達!と呼ぶ、ブルーグラッサー達は、総じて演奏が上手い傾向がある。
ティケティケ・オタク達は、それこそ、血が出るような練習だって平気でやるから、10年もやっていれば上手くなる。
ところが、歌となると、天性の素質が必要とされるので、喉から血が出るほど練習しても、下手は下手のままだ。
しかしながら、インディーズ系の音楽家達は洗練されてはいないけれど、忘れてはならない開拓者魂というものがある。
沸々とたぎるフロンティア・スピリッツというものが、彼等の音楽をして、絶対的な存在意義を確固としたものにしている。
ロック音楽における絶叫が、音楽性ウンヌン以前に、魂の叫びとして人々の共感を得ているように、
ブルーグラッサー達の歌声は、フロンティア・スピリッツをバックボーンとして、人々の心に訴えかけてくるのだ。
第一線で活躍するグループと違い、拙くてはあっても、ゆるぎない力を持つ、香り高いブルーグラス音楽なのである。
こういう音楽をはぐくみ続けているアメリカ音楽界の包容力に、敬意を表したい。

☆27話=2005年7月7日・そんなに叫ばなくても・・

今日は七夕にちなんだ話を・・と、思ったけれども、陳腐な話になりそうなので、この企画は却下!
前回25話に「歌は語るように歌う」ということを書いたけれど、ロックでは叫んでいる事が多い。叫びっぱなしもアリだ。
人間の感情の発露として叫ぶことは自然だから、バカヤロー!とか、愛してる!とか、様々なシチュエーションで、人は叫ぶ。
叫び声を競うコンテストもあるが、歌も、これが叫ばずにいられようか!とばかりに叫ぶように歌うのは身体にも良かろう。
叫ぶように歌うのはロックの専売特許ではないから、カントリー歌手だって叫ぶことはあるし、それも悪くはないのだが、
時々、そんなに叫びまくらなくてもいいじゃないか・・と、思うときがある。
今は梅雨。連日の雨で気分が高揚しない時に、元気いっぱいの歌ばかり聞いていると、シチュエーションに似合わないと思う。
よって、この頃はLPで、アルフレッド・ブレンデルが弾く、モーツァルトのピアノソナタを聴いたりしているのです。
モーツァルトはいい・・どんなときでも、聴く人を幸せにしてくれる音楽は、まさに天才の紡ぎだした天上の音楽だ。

fukuroo3は、若い女性が元気いっぱいに歌うものを良しとしている。若いときにしか歌えないような歌というのは良いものだ。
実際のところ、新人女性カントリー歌手の傾向としては、元気溌剌と青空の向こうまで届け!とばかりに叫ぶ歌声が多い。
なんたって、アメリカ国民の気質としては、バラード系歌手よりは、元気印歌手の方がウケが良いのは、頷けることだ。
少々下手だって、かまやしないさ・・、美人歌手が若々しい声で、思う存分に歌っていれば、それだけで許してしまいます。
日本人好みのシミジミと歌い上げる、味わい深い歌手も居るが、なんたってこの手合いは、並はずれた歌唱力を要しますからね。
ジャズボーカルに比べると、カントリーの女性歌手というのは、おおむね、アメリカ人気質を反映しているように思います。
この手合いのアルバムを三人ばかりかけると、オイオイ!そんなに叫ばなくってもいーじゃないかと、バラード系に手を伸ばす。
しかし、バラード系カントリー歌手というのは、圧倒的に少数派なので、いつも同じ歌手ばかりになってしまうのが困る。
やむを得ず、ジャズボーカルの棚から、近年の可愛らしい女性ジャズボーカリストを取り出すことになります。
本当は、ネクラなイメージがつきまとうジャズ系よりは、カントリー系にしたいけれど、数が少ないので、やむを得ない。
fukuroo3の好みとしては、ネアカ系のバラードというのが理想なのだけれど、暗〜くなるのが多い現状は、如何ともし難い。
ネクラ系では思い切りマックラになりそうな歌もあり、落ち込んだ時に、こういうのを聞くと、人生が漆黒の闇に包まれちゃう。
え!そんなら聞くなって!アノネ・・そういう歌手に限って、エラク良い歌を歌っているのよ・・魔女の誘惑みたいなモンだ。

☆26話=2005年6月16日・美味しい青リンゴの味・ケイティの歌はいかが?

先月は、筆者が肺炎のために四方山話を書かなかったので、今月はそのぶんも、ということで今月二回目の掲載です。
ケィティはフクロウ日記にも記述したし、カントリーウェブサイトにも「期待の新星ケィティ・メルア登場!」と絶賛しています。
15日の午前中、このCDが配達されたので、午前11時から午後10時まで、かけるCDプレーヤーは変えたりしたけれど、
延々と聴き続けていて、飽きることがない。夜は私の妻である旦那フクロウが、ウィスキーをグビリ!とやりつつ、こう言った。
「これは、ますます酒が美味しくなるわなぁ〜・・」つまり、彼女も聞き飽きることが無いのである。
これはどういうことかと考察するに、Katie Meluaの歌声というのは、もぎたての青リンゴなのだと、喝破したのであった。
リンゴの木から、もいだばかりの青リンゴは張りがあり、口の中でパリパリと音をたてて、程良い甘酸っぱさと共に美味しい!
読者諸氏におかれても、つい2個、3個と食べてしまった経験があるのではなかろうか?秋の高級リンゴは一個で充分なのにだ。
別にシロフクロウが津軽の生まれだからということで、このたとえ話を持ち出したわけではなく、本当にそう感じたのだ。
実際、Katie Meluaは二十歳そこそこの若い歌手なのだけれども、若い女性の歌声を愛でるというのは、独特の良さがある。
ケィティの歌声も、いつかは成熟度を増して、青リンゴの味から、秋の高級リンゴの歌声に変化していくのかもしれないが、
青リンゴならではの食感と瑞々しさは、今でなくては味わえないものではなかろうか。

偶然にも、つい先日にKatie Meluaと声質が似たLisa EkedahlのCDを2枚、新着CDページに紹介しているので、比べると面白い。
とても似た声質だが、Lisaの歌声は、今にも壊れてしまいそうな危うさがあって、聴いているとハラハラするところがあるのだ。
そこがまた、初々しさとか、独特の瑞々しさを漂わせ、魅力的な印象を与えており、新鮮な感動を生むのであるけれども。
対するKatieの歌声は、破綻しそうな危うさは微塵も見せず、自在にコントロールしており、堂々と歌いきっている感がある。
バラードで聴かせる細やかなフレーズでは、隅々まで心配りが行き届いており、消え入りそうな歌の語尾まで魅力的なのだ。
私は「心の琴線をふるわせる歌声」というフレーズを良く使うのだけれども、琴線をふるわせる方法も様々らしいと気付かされた。
具体的に、どういう事例があるかと考察してみたのを列記しておこう。
美声で並ぶものが無いシセル・シルシェブーやコニー・ドーバーの場合は、琴線をはじいて音を出す。
芦笛の歌声と評したミンディ・スミスや前述のリサでは、琴線にそっと触れて音を出す。
そして今回、絶賛しているケィティ・メルアの場合は、弓で弾いて音を出している。
最後に、新着CDページやフクロウ日記にも書き忘れたこと、ケィティは美人です!。歌が素晴らしいので書き忘れておった!

☆25話=2005年6月3日・音楽の語り口

歌は語るように歌い、語りは歌うように語る、これが人を感動させるのだといわれる。
勿論、好みは人それぞれだし、歌手の好き嫌いもまた人それぞれだが、
「語り口」というものについて書いてみよう。

そういうことを考えさせられたのは、NHKのシルクロード番組でのナレーターの声からです。
昔は俳優の石坂浩二が担当し、現在の新シリーズは松平アナウンサーが担当している。
石坂のナレーションは、シルクロードの画面に溶け込んで、淡々と流れていき、見る側の想像が膨らむ。
対する松平アナの語りは、石坂の語りのように映像に溶け込んでおらず、
説得力は有るが、見る側が想いを馳せることが出来にくい。
石坂の語りの良さは、 つまり、歌うように語っていることにも有る。そこから+アルファが生まれる。
松平アナのナレーションは、喋って説明しているに過ぎない。
シルクロードの雄大な自然と共に、ゆったりと流れるように語る石坂のナレーションは、
視聴者の心を解放し、様々なことを想像させるので、奥行きがあるのだ。
それに、なんといっても、石坂の声質が良い。これは決定的だ。
シルクロードの放送に際し、NHKはなぜ石坂の再起用をしなかったのだろう?
視聴料の無駄遣いや横領を許すNHKが、石坂の出演料を出し渋ったのかと思うと、情けないことに思える。

語るように歌うということでは、シャンソン歌手の金子由香利を思い浮かべるが、
昔は銀座の「銀巴里」まで、良く聞きにいったものだ。彼女は、歌うというよりは、ほとんど語っておったな・・
暇話休題、私の音楽の楽しみ方は、99パーセントが洋楽だから、言葉の意味が解らず、
その意味では語りの内容は解らないのだが、
言葉の意味は解らなくても「語り口」というものを感じることが出来る。
その語り口というものは、歌詞の内容を現しており、歌声の大事な要素のひとつだと思う。
それは歌手の力量というか、器量の多寡によって決定づけられるものだが、
そこらへんにこそ、ボーカルを楽しむうえで、聞き取る側の真骨頂が存在する。
私はクラシック器楽曲も好んで聞くけれど、近年は人間の声に魅せられて、女性歌手を良く聞くようになった。
繊細な「語り口」というものは、やはり人間の声が一番で、どんな素晴らしい楽器も、及ばないところが有ると思う。
昔のクラシック界では、オペラ歌手が指揮者より権力が有ったと聞き及ぶ。今でも人の声が一番魅力的な楽器だろう。

☆24話=2005年4月12日・理想のBluegrassDVD収録

2005年1月末から、ブルーグラスのサイトを構築してきましたが、4月1日の更新で、ほぼ、体裁を整え終わりました。
勿論、完成ということはなくて、これからも推薦盤のDVDやCDが手に入れば、そのつど、掲載していく予定です。
私のブルーグラスサイトは、まだ検索エンジンにもヒットぜず、全く知られていないので、URL&リンクを張ります。
ブルーグラスサイトのトップページ行き
ブルーグラスミュージックDVDのページ
ブルーグラスCDのページ行き

さて、これで検索エンジン対策を終えたので、サイナラ・・ということはありません(^_^)vブルーグラスの話です。
Bluegrass音楽CDは沢山発売されているが、DVDは数が少なくて、駄作が多いのも困りものです。
その理由は、制作者の思い入れが強すぎて、本編にブルーグラス音楽の歴史とか、出演者のインタビューが入る事。
一生涯に2〜3本くらいのDVDしか買わないし、観ない人なら問題なかろうが、ブルーグラスファンとしては辟易する。
買うたびにブルーグラス音楽史の話を聞かせられるのも嫌だし、ブルーグラッサーの話も、本編に入れるほどの話ではない。
アータラコータラと喋りたいのなら、そのぶんの映像と音声は、ボーナストラックに放り込んでくれ!と、いつも思う。
これがCDであれば、理解できない英語のインタビューなどを延々と喋るCDなんて、ほとんど見かけないのに、とも思う。
「アンタらは音楽家なんだから、喋る暇があったら演奏しろ、そして歌え!」と、不満やるかたないのである。
ライブコンサートDVDも、音楽の部分を取りだして編集し、キッチリとしたDVD映像として、発売すべきだ。

思うに、Bluegrass music というのは、それほどまでに未完成で、マイナーな存在なのだろう、という見方も出来る。
そういうアマチュアリズムが残っているのが、ブルーグラス音楽界の形態を、良く現しているのかもしれない。
私としては、既に世界的に認知されている音楽だと思っているので、DVDの作りも、一般音楽と同様になって欲しい。
そして、なんといっても、これからはスタジオ収録された高音質のDVDが、沢山登場して欲しいと願っています。
オーディオ好きのシロフクロウとしては、ライブコンサートでの収録は、これまた別の楽しみがあることは認めるが、
良い音を満喫したい場合には不満が残る。理想的な例をあげると、シャナイア・トゥエインがスタジオ収録したDVDが有る。
☆3番目=シャナイアのDVD紹介ページ行き
これは、少人数の観客をスタジオに呼び、小さなコンサート風にしているもので、これなどはライブの良さと、
スタジオ収録の良さの両面を演出した好例です。既に、他の音楽ジャンルでは、昔から行われているやり方なのですが、
Bluegrass音楽DVDディスクの収録方法として、もっと採用して欲しいと願っています。

☆23話=2005年3月15日・しつこさに弱い人間性

そろそろ、月の半ばですし、月に一度くらいは、この四方山話を書いておきましょう。
さて今日は、ジャズをあまり聞かない私でも、
新着ディスクコーナーで、ジャズボーカルを取り上げていますから、その話をします。
新着CDコーナーに絶賛推薦している☆20=05年2月25日=Madeleine Peyroux/マデリン・ペィルーが、
昨日14日に買い求めたステレオ・サウンド誌の591ページに推薦されていました。
シロフクロウのサイトよりは、ステレオ・サウンド誌の方が宣伝効果があるだろうから、
マデリンの素晴らしい歌が、日本人に愛されるように願っている。
いつも思うことだが、日本人の歌手だけに眼を向けている人は、世界に眼をむけたほうが良い。
歌えない日本人歌手だの、下手くそな日本人歌手を相手にせずに、世界に目を向けてください。
日本音楽協会が暴利を貪る、高額な日本製CDを一枚買う費用があれば、
世界中の音楽CDが二枚買えますから、もっと良い音楽を世界中から選んで聞いて欲しいと思う。
言葉の問題なんて音楽として聞くぶんには差し障りにはならない。詩の朗読じゃないんだから。

マデリン・ペィルーのジャズも、典型的な四拍子を刻んでいまして、ザックザックザックザック、と大根切りみたいです。
この大根切りのリズムって、お経とおんなじジャン?だから仏教的な心情をもつ日本人にウケているのかなぁ〜?。
なにせ、宗教というのはシツコサが売り物で、勧誘からして猛烈だもんねぇ。しつこくて付き合いきれないほどだもの。
こういうしつこくて単調なリズムに乗せた音楽というのは、大衆の共感を呼ぶらしく、
有名なリオのカーニバルだって、ズーチャカ・ザッザッ!の繰り返しだけなのに、あれだけの盛り上がりを見せております。
日本の祭りのセイヤ!セイヤ!とか、私の生まれ故郷のラッセラー!ラッセラー!も、似たようなモンであります。
人間って繰り返しに弱いのね。選挙の候補者名連呼も、そこらへん狙いですね。
女性だって、ウソであっても、繰り返しの愛の告白でコロッとまいってしまうらしいじゃありませんか。
プレィボーイの資格は、容姿や顔ではなく、しつこさなんだそうです。良い言い方に変えれば、女性にマメ!と言うらしいが。
私なんて、一度の告白で拒否されたら、潔くサッサと諦めることにしていますが、これだとモテないんでしょうね。
あら、脱線、元へ。
さらに申せば、坊さんのお経の木魚なんて、ジャズの四拍子そのものではないかと思うのであります。
ボック!ボック!ボック!ボック!、おおっ、コレって、なかなかシツコクていいんでねぇーの!
宗教嫌いのボクもノレそうじゃんけ、ボクボク!ヤッホー!
ジャズの四拍子と、お経は同じだ!などと言う人は、過去にも居たのかもしれませんが、私はジャズ関係者の話に疎いので不明。
私が最初に言いだしたのであれば、世界初の仏教ジャズの提唱者となるか?。などとボケをかましてみるのであります。
宗教的なノリでは、踊る宗教なんてのもありますね。これなどは、単調な繰り返しに弱い人間性を垣間見る思いがします。
なにせ、おかあさんのお腹に居た頃から、心臓の鼓動を聞かされ続けて、胎教を受けている?のですから、
単調な繰り返しに洗脳されるのもやむを得ないかな、と、自己分析をする次第です。

☆22話=2005年2月19日・ブルーグラス音楽考察

今年になってから、Bluegrass音楽のサイトを開設して、CDよりもDVDを優先してアップロードしている。
CDに比べると、ページ製作が格段に面倒なので、嫌なことは先に片付けておこうという考えです。
写真画像は、訪問者にどんなDVDなのかを知らせるためで、DVD情報には必須かと考えての掲載です。
そして、演奏と歌を耳だけではなく視覚でも捕らえると、別儀の情報量が増えて、気付かなかった事に気付く。
BluegrassDVDは、なぜか演奏以外の情景が沢山収められたものが多くて、この点でも非常に興味深いのだ。
それは、出演前の演奏者の緊張した仕草や表情であったり、野外でのログキャビンでの語り合いであったりする。
そこには、CDだけで純粋に音楽を聞いている時に気付かない情報がもたらされ、様々な感慨を産むのである。
ステージ上でのブルーグラッサーが、一種のトランス状態となって、失神せんばかりの様子を目にした時に、
私としては、いろいろと考えさせられるものがあったのだ。
ブルーグラス音楽の特異性と独自性は他に類を見ないものだが、それゆえにメジャーになれないのかもしれない。
そしてまた、そういう音楽だからこそ、好きになった人達にとっては、熱烈な愛好者となるのだろう。
一般のカントリー音楽とブルーグラス音楽は違うし、一聴しただけでも全く違う音楽性を有している。
こうなると、私としては、Bluegrassの現状と未来についての考察を、いやでも考えざるを得なかったのだ。
Bluegrass Musicは、一般カントリーのような大商業性を有せず、演奏者の多くは、この音楽で生計を立てられない。
Bluegrassは、優れた演奏技術を要求するし、神業的テクニックを持つ演奏者を「鬼のように巧い」と形容するが、
そんな鬼達であっても、好きな音楽では飯を食えず、生計は別に稼ぐのだという。なんとも、やるせない話ではないか。
しかし、この半分素人的半分プロ的なところが、ブルーグラス音楽をエキセントリックなものにしていると、私は考える。
香り高いコーヒーの豆は、標高の高い土地で生産されるが、ブルーグラスのハイロンサムなど、まさに同類と思える。
商業主義に毒されることが無いから、思い切り独創的な音楽を奏でられていると思うのは、私の思い入れが強すぎか?

Country musicのメッカであるナッシュビルのグランド・オール・オープリーでは、
一般カントリー歌手に混じって、ブルーグラッサー達が登場すると、劇場の雰囲気が一変して、爽やかな風が吹き渡る。
現代のカントリーはロックと変わらないようなドラムや電子楽器を使うが、ブルーグラスはあくまでアコースティックだ。
その柔らかい音色と神業的演奏テクニック、ジャズ・セッションにも例えられる見事なアンサンブルは、実に魅惑的だ。
たまたま今、私の別サイトで、私が昔撮影した高山植物の花を掲載し続けているが、かの高嶺の花の雰囲気というべきか。
ブルーグラス音楽は、自然の中で暮らす人々の中で自然発生的に生まれ、絶えそうな時期もあったが、今に受け継がれた。
近年に眼を向けると、一般の女性カントリー歌手が、ブルーグラスをバックにして、魅力的なアルバム製作をしている。
これを私の造語でFemale Bluegrass現象と呼んでいるが、これは大御所のDolly Partonあたりが、いち早く導入していた。
そして元々からの女性ブルーグラッサーであるアリソン・クラウスの、眼を見張る台頭ぶりにも因を発しているようだ。
アメリカではアリソンの成功に触発されて「アリソンクラウス現象」みたいなことが起きているという噂も聞いた。
つまり、ヴァイオリンを弾ける女性達が、ぞくぞくとフィドル弾きとして名乗りをあげているというのだ。嬉しい話だ。
ブルーグラスは魅力的な音楽ジャンルであるし、世界中に愛好者が存在する。もっと広まって欲しいと願っている。
それでは、我が国の現状はというと、Bluegrass好きが沢山存在するし、生演奏を楽しむグループが如何に多いことか。
インターネットでブルーグラス音楽を標榜しているサイトを覗くと、圧倒的に演奏を楽しむ人達のサイトが多い。
実際、演奏者同士の気ままなセッションをジャムリングというのだが、これは洋の内外を問わず、病み付きになるらしい。
面白いことに、演奏者サイトの推薦CDは、有名な鬼達が演奏しているCDなどが中心で、完璧に演奏者サイド嗜好だ。
私のように、オーディオの対象として聞く場合には、演奏もさることながら、録音状態が良く高音質なCDが望ましい。
楽器演奏が出来ないシロフクロウは、オーディオという文明の利器により、愛器JBLパラゴンでBluegrassを奏でている。

☆21話=2005年1月23日・芦笛の歌声ミンディ・スミス

音楽コラムも20回目を越えたが、月一回ペースとなった。誰も読む人が居ないと思われる音楽四方山話だし、
毎週のように書いても「読み人おらず」では力も入らない。実際、やくたいも無いようなことを書いているのだし。
実際、今まで読んだという話は誰からも一度も聞かない。ただ一人、私の妻が読んでいることは知っている。
今はウェブログになったフクロウ日記など、掲示板利用の頃から二年以上ほどになろうか、ほぼ毎日書いているので、
音楽四方山話を毎週続けて書くくらいはなんでもないことなのだが。それよりは美味い料理を作った方がよかろう。

さて、話は本題に移って、昨日、女性歌手応援サイトのメインページ116ページ目にMindy Smith/ミンディ・スミス
という歌手の紹介と推薦をしている。今夜も夜遅くなって繰り返し聴いているが、ふと、思うところがあった。
私が「芦笛の歌」と形容したミンディの歌は、芦原に吹き渡る清涼な風のような歌声が素晴らしくて、
何度聞いていても飽きないほどなのだが、こういう時はオーディオ的な事柄は念頭から消え去ってしまっている。
機器の事柄などは抜きにして、ひたすら心地良く芦笛のごとき美声に聞き惚れている時間というのは至福の時だ。
聞き終わった後で、自分では世のオーディオ好きと違うような気がした。オーディオ好きだと思っていたのは錯覚か?

あるジャズ愛好者は、
「質感の追求が根本でステレオ感や雰囲気は二の次であり、モノラル盤やステレオ盤という違いさえ、無頓着」だと言う。
楽器の音がストレートに伝わってくれれば「極上の音」となるらしい。ふむふむ、ナルホド・・
この人の言うことは真性オーディオ・マニアだと思わせるところがあって、部分的には私も同調できる。
私の場合は、そんなオーディオ的な事柄より、惚れ惚れと心地良く聞き惚れる音が出ておれば、全てを許す事が出来る。

でも、私がジャズ好きの人達が創る音が嫌いなのは、彼等の作る音が素材の味そのものを賞味する刺身料理だからです。
私としては、刺身ではなくて、キチンと調理されたフランス料理的音響を好むので、ジャズしか聞かない人の音は嫌いだ。
私の場合も、ジャズ愛好者と似た考えはあって、ステレオの定位だの位相だのと、そんなことには頓着しないのだ。
その考えの元は、この「ジャズ好きの人」とは違い、自然界に定位だの位相だのは無いし、無用と思っているからだ。
それ以前に、実際のオーディオ製品で、定位だの位相が変な音がしているものはほとんど無いだろう、という現実もある。
ことさらそんなことを持ち出してオーディオの話をする連中は「こいつらはアホではないのか?」と、本気で思っている。
話は脱線したようなので、元へ戻す事にする。
当家の装置では、ライブCDをかけても、女性歌手がステージ上を左右に走り回ろうが、装置の真ん中で歌って動かない。
歌手がマイクを握っているからだ。100メートル11秒台でステージを走ろうが、ステレオ音響では真ん中で歌っておる。
歌手が屋上に上ろうが、球場のスコアに登ろうが、旗竿の上に登ろうが、真ん中で聞こえる。じゃによって・・だ。
ステレオだって?一卵性双生児が二人で左右に分かれて歌わないといけないとでも言うのか?なんてことも言いたくなる。
ともかく、やくたいもないオーディオマニアックな事柄に執着するより、Mindy Smith の芦笛の歌に耳を傾けたまえ。

☆20話=2004年12月21日・柔らかな感性を保ち続ける

ニュージーランド旅行から帰って、ウェブサイトへのアップロードなどに時間を取られ、
音楽コラムには、ご無沙汰していました。
帰国後に何枚かのクラシックCDを通販購入して、それぞれに良い音楽を聴かせてくれたので、今日はその話を少し。
アンネ・ゾフィー・ムターの新録音、チャイコフスキー一番は、並みではなかった。
既に大家と言われて久しいムターではあるが、流石と思わせるところがありました。
他の演奏者の一番コンチェルトが棚に収まっているけれど、
この十年ほどは全くと言って良いほど、一番を聴かなくなっていました。
なにやら気恥ずかしい気もするし、この年齢でこの曲を聴くのは、周囲を気にするところがある。
誰も聞き耳を立てていないだろうが。
しかし、ムターの音楽は、そういう感情を押し流してしまうほどに、魅力的でした。
私の場合は音楽の深い知識が有るわけでもなく、具体的なヴァイオリン技巧など知る由も無いのだが、
それでも、巧みなボウイングによってもたらされる嫋々たる音色と共に、力強さも併せ持っており、
今まで聴いたヴァイオリンコンチェルトとは違って聞こえてしまった。
多分、それは私が年老いて、若い頃に聴けなかった音楽が聞こえたのかもしれない。
人は加齢と無縁ではいられないし、聴く音楽も変わる。
あらゆるものが、移ろいゆくことは避けられないし、
その時代のその時に心の琴線に響く音楽が違っていても、それはそれで良い。
ただ、オーディオをやっている者は、時として、聴く音楽がどんどん狭められていく危険性をはらんでいる。
それは恐ろしく録音が良いCDであったり、その時節に特に傾倒した音楽であったりするわけだが、
それに任せていると狭量になるのだ。
音楽は幅広く、いろいろなものを聴いた方が良い。人の身体には様々な栄養素が必要なように、
柔らかい感性を保って様々な音楽に接すれば、心豊かに暮らせるだだろう。
世間の音楽好きを標榜する人達を観察すると、これは容易ではないことが解る。
クラシックしか聴かないとかジャズだけとか、エトセトラ・・
演奏者では無い我々リスナーとしての特権を放棄しているかのように見える。
我々音楽愛好者は個別の音楽のエキスパートである必要は無く、聴くことに特化しておれば良い。
さて、今から、ムターと同時に買い求めた、アンナ・ネトレブコのCDを聴くことにする。
アリア集で「花から花へ」というタイトルだが、私の好きなアリアが多くて聞き惚れている。
アンナ・ネトレブコは他にもCDを所有しておりますが、その歌声にはいつも、ウットリさせられている。

☆19話=2004年11月12日・女性ボーカルを聴く楽しみ

fukuroo3のウェブサイトは、女性ボーカルがメインテーマなので、今日は女性ボーカルの話をします。
先週、新人歌手の新譜を、新着ディスクコーナーに掲載しました。下記クリックで該当ページに飛びます。
☆12=Renee Olstead/レニー・オルステッド
この歌手を聴きまして、若くて張りのある声を愛でるということの幸せを感じました。
いくら上手くても、年老いて腐熟した歌手では、聴く人の心に届かなくなってくる場合が多いから。
このことは、カントリー音楽掲示板の話題にも取り上げたが、人の声というのは実に魅力的な楽器だと思う。
ストラデイバリやスタンウェイも良かろうけれど、所詮、素晴らしい歌声には敵わないと、シミジミ思う。
何人かの音楽演奏家が、このように語っている。
「私は歌が歌えないから楽器を弾いているのだ」
つまり、歌えるなら歌っているのだ!という訳です。その根底には、楽器演奏は努力でなんとかなる、
ということがあるのでしょう。幼い頃から必死に切磋琢磨すれば、ある程度の所まではいけるのが楽器演奏。
しかしながら、歌というのは天分が必要とされます。楽器演奏よりも如実に天分の差が有って、瞬時に解る。
Renee Olsteadの年齢は15才。う〜ん、歌の天分というのは、生まれ持っての才能だと再認識させられます。

ジャズのサッチモはトランペット吹きだけれど、しゃがれ声で歌も歌います。これが実に味わい深い。
そしてまた、トランペットを吹くように歌っているところが素晴らしい。
「サッチモは歌うようにトランペットを吹き、トランペットを吹くように歌うのだ」ということになります。
歌うように楽器を演奏するのが、エンターティナーとして必須だと思うけれども、
歌心の無いところに名演は無いとも思うのです。ハートフルな演奏は、人の心の琴線に触れる事が出来る。

ある人が嘆いておりました。
最近の演奏は適当に流しているものが多くて、鑑賞に耐えない・・ウンヌン・・
そのような生演奏を聞く事は無いのだ。世の中にはオーディオという世界で名演が繰り広げられている。
音楽ファンは、たいていの人がこう言う「生はいい!生は最高だ」その良さは私も理解できますとも。
でもね、結構つまらない演奏や歌が多いのも事実で、その場の雰囲気でノリが良いだけなのよ。実際は。
勿論、生演奏と録音ディスクとは別物で、比較するべきものでは無いことを承知で、申し上げている次第。

フクロウの巣穴で、毎日さまざまな名演を聴いているfukuroo3としては、
月に一度か二度の生演奏よりも、パラゴンで毎日の方が楽しいです!と相成るのでございます。
様々な女性歌手が手の届きそうな近くで、私1人だけの為に生々しく歌ってくれる!これに尽きる。

☆第18話=2004年10月24日・悪魔が来たりて音が豹変

何年にも渡って個人のオーディオルームで鳴らし込まれた音は、時々驚くべき音に豹変する。
そして、それは夜更けにしか起こらない現象なので、我々オーディオファンの仲間内では、
「悪魔がやってきた」という言い方をする。
そしてまた、朝になると豹変した音は消えるし、毎夜悪魔が訪れるわけではない。
あるオーディオ評論家が、この現象がなぜ夜更けにしか起こらないのか、という質問に、
「悪魔も忙しいんだよ。今日はS君のオーディオ・ルームに、明日はK君のところに・・」
という話をしていた。
なぜ、こういう話をするかというと、昨夜は夜更けまで音楽を聴いていられたからです。
妻が母親孝行のために一泊旅行するので、一年に一度あるかないかの夜更かしチャンス!
深夜午前二時過ぎまで、ゆっくりと至福の時間を持てたのだった。
勿論、昨夜は悪魔がやって来たわけではないが、それでも充分に音楽を堪能できた。
夜のとばりが降り、暗闇が支配する肝心の時間帯に、悪魔はどこをうろついていたのやら。
昨夜は十時過ぎあたりから、だんだんと良い音に変貌したが、悪魔は来てくれなかった。

思い返せば、当家の妻が一年間のイタリア遊学をしていた頃が、最も悪魔が訪れていた。
一年間の、仮の独身生活を手に入れたので、自由に深夜まで音楽を聞けた時期でした。
当時の製鉄所勤務は、昼夜三交代制だから、ホワイト・カラーのサラリーマンよりも、
深夜に音楽を聴くことが出来たし、休日ともなれば毎夜、午前様になるまで聴き耽った。
宝くじの確率じゃないが、数撃てば当たるというか、悪魔が訪れる確率も同じ事である。
当時、深夜というのに、自由業の画家を電話で呼びだして、
「今、悪魔が来ているよ。聴きに来ないか」と、誘った事も何度かあった。
そういう時の愛機パラゴンは、まさに生きている歌姫のように見事に歌ってくれたし、
呼び出されて、遠方から車で駆けつけた画家も、聞き惚れていたものだった。
彼も悪魔が来た時の音の豹変ぶりに驚いていたから、私1人の錯覚ではない証だろう。
現在の私は主夫業だが、深夜に耽溺するまで音楽に浸れる機会は希になった。
今朝の日曜日はコーヒーを飲みながら、モーツァルトのヴァイオリン・コンチェルトを
聴いているのだけれど、もはや昨夜のような美音とは、ほど遠い普通の音になっている。
悪魔は来なかったけれど、昨日はそれなりに良い音で楽しめたのだが・・
どうやら朝になると大気が変わって、濃密度が薄くなるせいなのか、などとぼやきつつ、
今、モーツァルトをヴィヴァルディに取り換えたところです。

☆第17話=2004年9月29日・美味しい音で音楽を楽しむ

音楽という熟語からして、音を楽しむと書くのだけれど、
街の中には安っぽいバックグラウンド・ミュージックが溢れているし、
パソコンに使われる安物のスピーカーで音楽を聞いている人が多いらしいから、
美味しくない音に慣れ親しんでしまっているとも言える。
美味しい不味いは、音量にも関係していて、とても重要なファクターです。
特定の音量で最も良く楽しめるように調整されるべきです。
湯布院でオーディオで知られた喫茶店に入ったけれど、
ここもまたひっそりと小音量でのバックグラウンド・ミュージックであった。
音が小さくても卓越した音響調整がされていれば、見事な音で鳴り響くものだが、
下手な上に小音量では救われないし美味しくもない。
そこそこの腕前で鳴らしているのであれば、
もう少し音量を上げないとJBLもタンノイもあったものではないのだ。
ラジカセと変わらないような音質で、音楽を垂れ流しているようでは、
たいそうな装置が泣くというものです。

さて近頃、フクロウ日記やオーディオ掲示板で、
202004年東京オーディオショウに行った感想をあれこれ述べているのですが、
「美味しい音」ということの重要性を再認識しました。
オーディオショウの各社ブースでは、
それなりにセッティングされた音響システムでマニア達の耳に供しています。
ところが、急ごしらえですから、
何年にも渡って個人のオーディオルームで鳴らし込まれた音と違いまして問題が多い。
美味しい音もあれば、不味い音もあり、
中には私の愛用アンプ、マッキントッシュ・ブースのように食えない音までありました。
いやはや、これでは、オーディオショウを見聞したところで、何もワカランではないか!
とも思えるが、そうではない。
高音がどうとか低音がどうとかいうのは初心者の考える試聴であって、
ベテランはそれ以外のところに留意しているものです。
たとえ展示ブースでは、これは駄目だという音であっても、
その中に自分にとって「美味しい音」が混じっているかどうかを識別している訳です。
展示ブースではバランスが悪く、イマイチに聞こえるけれど、
チラリと美味しい音があることを認識させる製品が要注意ですね。
「う〜む、この音で○○ちゃんの艶っぽい歌声を聞いたら、どんなに美味しかろう!」
などと考えて、キチンと調整した後の音を想像して試聴しているのです。
勿論○○ちゃんとは、お気に入りの女性歌手なのであります。
これがジャズ好きの人なら「△×のドラムソロを、このスピーカーで!」となります。
私の場合はその音が美味しいかどうか、これに尽きるけれど、
その他の留意点は、音響が空間へどのように広がるか等をチェックして聞いています。

202004年東京オーディオショウを総括して、印象に残った事を箇条書きでまとめておきます。
○面白いことに、何でもそつなくこなす最近のスピーカーには、
美味しい音を出すものが少ないということも再認識した。
○アクシスのブースではジャズを流していましたが、工事現場の騒音のように聞こえた。
これは不味い音で食えなかった。どうしても好きになれない料理もあるように、音も同じですね。
○アバンギャルド社のトリオというスピーカーの音は美味しい!。
去年に続いて今年も驚嘆すべき能力を見せつけてくれました。
fukuroo3にとって、トリオには、私が美味しいと感じる音が沢山詰まっていると聞きました。
アバンギャルド・トリオ・スピーカーは、私には御馳走でありました。
☆話を戻すが、毎年オーディオショウに行き、毎年の新製品を確かめてきたけれど、
フクロウの巣穴の愛機パラゴンを超える音は、昨年までは無かったのだ。
だから、長年買い換える必要性も考えなかったし、自分の再生装置より良い音に出会わなかった。
この15年ほどの間は、この頃の新発売スピーカーが、無難な優等生タイプばかりだと憂えてもいた。
こんなスピーカーばかり作りよって!と、憤慨していたし
これではオーディオは進歩しているのではなくて、退化しているではないか!とさえ思った。
ところが、アバンギャルド社のトリオは高能率だし、音質も素晴らしかった。
秘めた可能性の大きさから推察して、明らかに私のスピーカーを超えていると実感した。
fukuroo3にトリオは買えないし、買っても置けない狭小住宅住まいだけれど、
この世の中にこういう製品が存在するのは素晴らしいことだ。

☆第16話=2004年9月7日・オーディオはスピーカー次第

ここは音楽コラムですが、オーディオの話も、しておこうと思う。
私の愛機であるパラゴンは、幸せなことに贅沢を言わないスピーカーだ。流石は育ちの良いお姫様だと思う。
どういうことかというと、高価なアンプを必要としないからだ。食い意地が張っていないのが、育ちの良さである。
貧乏なスピーカーほど、高価なアンプを欲しがるものだ。これは人間にも言えることだけれども。
この10年ほど、ハイエンドオーディオアンプは、プリとメインのセットで500万円ほどの製品も珍しくなくなった。
この頃のスピーカーは、そういう高価なアンプを奢ってやるほど良い音で鳴るのだという。ふ〜む、卑しい奴等であるな。
私の愛機パラゴンなんて、たかだか150万円程度のアンプで朗々と鳴り響くのだから立派なものだ。
勿論、私もオーディオファンの性として、もっと良い音にしたいという欲求はあるので、
マッキントッシュのパワーアンプMC1201が欲しいとは思う。ただ、今の機種でも充分に満足しているけれどもね。

いつも思っていることがある。
私のパラゴンが好例だが、オーディオの黄金期に製作された銘器的スピーカーは、大変な物量を投入した製品です。
よって、100デシベルを超える高能率であるから、駆動するアンプに多くを要求しないのだと思う。
対する近年のスピーカーは、新技術を標榜しているけれど、能率が悪いから、アンプに依存する度合いが高い。
能率が鈍い近代スピーカーは、鈍感な女と同じである。
鈍感なだけに使いやすくて破綻することもなく、美味いもの(高価なアンプ)さえ食わしておけば文句は言わない。
ある意味、いたって扱いやすいのである。
総括すると、昨今のアンプ大出力化&高性能化によって近代スピーカーが成り立っているとも言える。

fukuroo3は、いたずらにヴィンテージ・スピーカーを礼賛するものではない。
私のオーディオ・ウェブサイトには「JBLヴィンテージ」というコーナーが設けられており、
昔を懐かしむ意味で、小型のブックシェルフスピーカーも紹介してはいるが、お薦めしているわけではない。
オーディオの黄金期のJBLスピーカーも様々な機種があるが、自信をもって人に推薦できる物はというと、
コンプレッションドライバーを使ったものが対象で、こういうクラス以上のスピーカーシステムに限られる。
実例で言うと、ランサー101が最低限で、オリンパスあたりから本格的なヴィンティージとなる。
ヴィンテージ・スピーカーも、いっぱひとからげには出来なくて、現代に通用しないものも多いのです。

☆第15話=2004年8月6日・フィメール・ブルーグラスの広がり

アリソン・クラウスのニュー・フェバリットは、CDもDVDもカントリー音楽史に大傑作として残るであろう。
ここでは伝統的なブルーグラスから一歩踏み出した、斬新なブルーグラスミュージックが聴けて、驚いたものだった。
このディスクが発表されてから、女性歌手達がバックの音楽にブルーグラス・スタイルを取り入れる傾向が
よりいっそう強まったように思う。
ニュー・フェバリットで聞かれるようなブルーグラスを、私はフィメールブルーグラスという名称を付けることにした。
そのつど、このスタイルを説明するのは面倒だからである。この際、fukuroo3が名付け親になります。
fukuroo3が1999年にナッシュビルを訪れた時には、既にブルーグラス回帰現象みたいな空気を肌で感じていたけれど、
その後に発売されるカントリー女性歌手達が、相次いでブルーグラスを取り入れたアルバムを発表した。
ただし、それらは伝統に縛られた男性歌手達とは違い、フィメールブルーグラス的な使い方で、
伝統的なブルーグラスではなかった。
それらは、ブルーグラスのフレーズを、さりげなく歌の中に取り入れたり、
フィドルやドブロ、バンジョーを巧みに取り入れている。

ドリー・パートンの近年のアルバムもブルーグラスのエッセンスが効いて心地良い。
Dolly Partonの可愛らしい声に似合っているし、とても気に入っているアルバムです。
近年では、ドリーの妹のステラ(STELLA)の202004年アルバムのアパラチアン・ブルース(Appalachian Blues)でも、
顕著に聞くことが出来る。
fukuroo3はブルーグラスをバックに歌う女性カントリー歌手を、こよなく愛する1人である。
彼女等の素敵な声に、ブルーグラスの生楽器編成はベスト・マッチするし、とても魅力的だ。
もっと、沢山の女性カントリー歌手達に、巧みにブルーグラスを取り入れた歌を歌って欲しいと願っている。
言うまでもなく、ブルーグラスミュージックはアコースティック楽器が基本で、
電子楽器には無い柔らかな音色を持っているので、魅力的な女性ボーカルと共に、味わい深くなります。
こういうフィメール・ブルーグラスを聞くと、カントリー音楽のエッセンスを味わっている気分に浸れる。
ブルーグラスは、独特の香り高い音楽性を持ち合わせており、それは、他のどんな音楽とも違うものだ。
コンサート会場でも、通常の歌手達に替わって、ブルー・グラス・グループが登場すると、
会場の雰囲気がガラリと一変するほどだ。
いわば、他に類を見ないスパイスともいうべき独自性を持っている。
ごく普通のカントリー・ミュージックにという料理に、
ブルーグラスというスパイスを振りかけるのは、巧みな手法だと思うし、大歓迎する。
女性歌手達には、さらにカントリー音楽料理の腕を磨いていただき、香り高いカントリー音楽を作り上げて欲しい。


☆第14話=2004年7月20日・音楽のエッセンスを味わう

料理は眼と舌で楽しむものとして、香りもまた不可欠だろうと思う。
目と舌ほど直接的ではないが、香りという感覚には、独特の世界が広がっているからだ。
こと、芸術的要素というのは眼に見えないところに神髄があるので、香りの要素も大事だろう。
音楽は芸術の中でも、最も高貴なものだけれど、これは形無きが故に、摩滅や老化と無縁で居られるからだ。
そしてまた、音楽を味わうということは、人間の五感に喩えてどんな感覚に近いのかと考えてみよう。
fukuroo3が思うに、音楽を味わうという感覚は、聴覚以外に、香りの感覚が第一義的に近いように思うのだ。
日本の伝統芸道として、香道という香りを嗅ぐ芸道がある。この香道では、嗅ぐ行為を「聞く」という。
私が文章を書くときに意識して「聞く」と「聴く」を使い分けており、聴く、と書くときにはより深い意味に使う。
さすれば、香道の聞く行為と、私が構築したオーディオによって音楽を聴く、という行為は似通っていて、
ことにあたって、真摯な想いで没頭するという姿勢は、近似しているように思う。

ここで、香りと音楽の相関を考えてみる。
ピアニストの中村氏が、来日した幻のピアニストの演奏を表し、ミスタッチを指摘していました。
日本人は、何の世界でも幻という字句が付いたものがお好きのようで、幻の滝とか幻のラーメンとか・・
ここでは、そういうやくたいもない幻達のことを書くスペースは無いから。止めておこう。
話を戻すと、プロの演奏家でも、ピアノレッスンを受けた訳でもない私のような一般聴衆にとり、
ピアニストのミスタッチには気付かないし、また、気付かない方が幸せだと思う。
ミスタッチが解る人は、ある意味で不幸なのだ。解らない人は、解らないと言うことに胸をなで下ろすが良い。
コンクール審査員でもない一般聴衆は、幸せな音楽のひとときを享受すべく、会場に足を運んでいるのだから。

音楽評論家の吉田秀和氏が、来日したホロビッツの演奏を「ひびの入った骨董品」と、表したけれど、
私は実に巧いことを言うものだと思った。この時のホロビッツの演奏は、ボロっぽかったけれども、
彼独特のきらびやかな音色を聴かせたという後日談を読んだ。
だとすれば、ひびの入った骨董品のカケラを手にして、その美しい装飾を愛でて満足した人も多かったろう。
それで良いのだ。演奏家ではない素人たる我々はホロビッツの音楽のエッセンスを楽しめば良しとすべきだ。
間違えずに弾いたか、などとという事は、大衆の芸術理解として程度が低い次元のことなのである。
バレエを観に行って、バレリーナがよろけたから、それをどうのこうのと批評する態度も同様だろう。
大衆が芸術を楽しむ姿勢として大切なのは、あら探しではなくて、芸術のエッセンスを選び取って味わうことだ。
このような度量の多寡が、その国の、その地方の、その人達の、その人個人としての、文化度という事に他ならない。
芸術のエッセンスを嗅ぎ取る能力ということは、とりもなおさず、観客としての資質を推し量る要素ともなろう。
勿論、私がフクロウの巣穴で音楽を愛でるという行為は、演奏会よりも深いものがあることは当然である。

☆第13話=2004年7月12日・CDbabyから初見聞の歌手達のCDを買い始めました

CDbabyはアメリカのオレゴン州ポートランドが所在地のCD通販専門店で、50名ほどのスタッフで運営されているそうです。
実に様々な歌手が網羅されていて、マイナーな歌手達のCDも買えるので、カントリーファンにお薦めです。
本日12日に、ウェブサイトの英語名歌手検索ページへCDbabyのトップページをリンクしておきましたので訪ねてみてください。
CDbabyのトップページの右側にCountryの表示があるので、クリックしていけますし、
私のようにCountryの女性歌手をターゲットにして表示させれば、労することなく次々とストリーミング再生をして試聴できます。
そして何より特筆すべきは、ストリーミング再生時間の長さでして、一曲当たり2分も聞けるのです。
fukuroo3は、愛好しているジャンルのブルーグラスを歌う女性歌手が登場すると、つい聞き惚れてしまって、先に進まない有様です。

それでも週末には、CDbabyからCDを29枚買い求めました。(その後20枚追加して結局49枚で一時停止)
29枚中、同じ歌手のを2枚買ったものもありますが、全ての歌手は私が今まで聞いたこともない歌手達ばかりです。
この先まだ、未聴の歌手達のCDが大量に網羅されております。昔の私なら店のカントリーCD全てを買うのだけれども、
懐が寂しいので、そうはいかない。また、店の対応がとても早く、申し込んだ次の日には発送されたので好印象でした。
今までの通販大手のアメリカアマゾンコムの例では、発送まで一週間以上かかることは毎度のことで、場合によっては二週間も待たされた。
CDbabyの発送方法は、CDケース無しで買うことも出来ます。私はケース無しが輸送割れ事故も無くて安いので無い方を選んだ。
まだCDが届いていないというのに、100円ショップに行きまして、店内の空CDケース45枚を全て買い占めてきました。
100円ショップでは、3枚入りが1パックなので、一枚35円ほどですから、国内通販を利用するよりも安かった。

CDbabyで歌手達のCDページリンクを開くと、美容院で働きながら、Country歌手をしている人もいましたので、
メジャー・デビューを果たしていない歌手達が、とても沢山網羅されていることを知り、とても嬉しかった。
そういうマイナーな歌手であっても、バックを務めるミュージシャンの腕前はたいしたもので、完璧な演奏をしています。
歌手本人の歌唱力も、メジャーになった人達と遜色が無くて、流石にアメリカには巧い人は掃いて捨てるほど存在するのだと実感した。
私のように音楽ファンというより、オーディオファンである人間にとって、その歌手が有名か無名かは、全く重要ではない。
極端な話が、その歌手のCDを買った人が、世界中で私1人であっても、私がベスト・アルバムと認定すれば、そこで完結する。
他の誰もが知らない歌手であっても、その歌手と私の間に存在する一枚のCDが、何物にも代え難いメッセージを共有し合えるのだ。

☆第12話=2004年6月28日・私の音楽原点とカントリー音楽

ロック歌手は叫ぶ!「ネバー・ダイ!」。
しかし、実際のところは俺は死なねぇ〜と叫んでいる割には、ヤク中毒やらアル中になってコロコロと死ぬ。
死なないまでも、ヤクまみれになって汚い格好をして、叫びまくるというロック音楽は好きになれない。ロックもいろいろで全部ではないが。
ジャズという音楽も、基本的には疲れ果てて夢も希望もなくした黒人達の叫びみたいなものが根底にあるから、どこか不健康なところがある。
こちらもヤク中毒とアルコール中毒には縁が浅からぬ音楽だ。本質的には鼻歌音楽なのに、あそこまで昇華していったのは大したものだけれど。
いつも言っているけれど、その点、カントリー音楽は健康的で明るい。失恋や離婚の歌も、どこかで音楽の明るさを失なわないのが良い。

世界的に大衆から愛好されたポップス音楽のルーツを訪ねると、ポルトガルのファドやら南米音楽の数々も、富裕層から発生してはいない。
これらの音楽の根底にあるものは、魂の叫びというようなものであって、これが叫ばずにいられようか!というのが発生原点になっていよう。
そして、fukuroo3の愛好するカントリー音楽もまた、貧しい白人層達の暮らしから発生した音楽といわれているのは周知のとおりです。
fukuroo3も富裕層の出身ではないし、両親が健康ではなかったので、幼少の頃から他の子供達が遊びまくっているのを横目に働いてきた。
三寸の虫にも五分の魂じゃないが、少年にも魂はあるし、そうそう堪え忍んでばかりもいられず、思い切り叫びたい衝動も生まれる。
当時の私に「心に音楽を」などというフレーズは遠い世界の価値観で、必死で生きていれば、音楽どころではないことも事実であった。
また、半世紀前の津軽の片田舎では、生の音楽に接する機会など、年に何度かあれば良いほうで、
学校の音楽の時間にクラシックレコードを聞かせられるのが関の山であった。
それは自宅の5球スーパーラジオよりも良い音で鳴っていたから、子供心にも器械を使えば音楽環境が手に入ると憧れを抱いたものだった。
当時は、将来においても、そんなことが実現するとは、とても思えなかった状況であったけれども。

津軽には町々に民謡がひとつずつあるくらい民謡の宝庫だし、津軽三味線をはじめとして、地域的な音楽文化度は高い。
極めて独自性の高いのも津軽文化の特徴だ。日本の民族音楽が海外公演に行くと、アンコールの声がかかるのは津軽三味線だけだという。
後年になって気付いたが、津軽三味線のバチさばきと、カントリーの五弦バンジョーのピッキングには、共通のものがある。
三つ子の魂は百までということわざが有るけれど、津軽に生まれたfukuroo3の音楽原点とカントリー音楽は、密接に繋がっているようだ。

☆第11話=2004年6月24日・オーディオが支配するもの

fukuroo3がハイティーンの頃に聞いていたのは、ビリー・ボーン楽団やマントバーニ楽団など、洋楽ボップスオーケストラでした。
ラジオの電話リクエストなどでは、映画音楽も人気があったし、ステレオ放送でなくてよければ、ささやかですが洋楽は聞けました。
昔から日本のお上はラジオ局開設認可には消極的で、下々の民にはモノを言わせず、ナニもさせず、という政策をとっていたようです。
ですからFMステレオ放送はNHKとFM東海という2局だけの時代が続き、まことにお粗末なものでした。 50年経った今もたいしたことはない。

当時のアメリカには何百というラジオ局が有り、カントリー音楽専門の局が有るということを伝え聞いていたけれど、貧乏島国日本では全く聞けなかった。
20代の半ばになると、既にオーディオ命の暮らしになっていましたが、主に聞くのは洋楽ポップスと共に、クラシックが増えてきました。
しかし、その内容はというと、人間の声が入っていない器楽曲ばかり。カントリーもそうだし、モーツァルトだって歌が入っているものは敬遠していた。
この原因はというと、後から解ったことだけれども、使っているオーディオによって、聞く音楽が支配されていたのですね。
普通の音楽ファンの方は、なんだ!そんな事があっていいものか!オマエの趣味嗜好はそんなに安易なものなのか!と、言われそうだけれど。
オーディオの構成機器の中でも、スピーカーの支配力は圧倒的で、どのスピーカーを使うかで音響の性格の70パーセントは決定されます。
聞くユーザー側のジャンル嗜好傾向にまで、その支配力が及ぶようになる。 使う側の力量が問われるということもある。

fukuroo3が、これほどまでにボーカルを愛好するようになったのは、22年ほど前、スピーカーをパラゴンに替えてからのことです。
パラゴンはさまざまな分野の音楽を、十二分に魅力的に聞かせますが、中でもボーカルを聞くと独特の魅力的な歌声を聞かせてくれます。
一般の方々は体験することが出来ないのが、こういうハイエンド・オーディオの世界であり、例えにも苦労するし説明しがたいのですが、
CDに録音された歌手の声を聞いているというより、パラゴンが歌っているボーカルを聞いている。ということが言えます。
この件で、どこかの喫茶店に置いてあるパラゴンを聞いた方であっても、その音がパラゴンの音だとは絶対に思わないでいただきたい。

オーディオ評論家達はこう証言しています。「お店とか公共の場で、良い音で鳴っているパラゴンは無く、個人宅でなら良い音が聞けた例が有る」
世の中には、ボーカルを魅力的に再生するスピーカーが、他にも存在しますが、それぞれ独自の(歌声)を聞かせます。
良く使いこなされた場合には、生のコンサートよりも遥かに魅力的に聴くことができます。 これがオーディオの醍醐味でもある。
オーディオを極めれば、生コンサートより魅惑的な歌声を、好きなときに好きなだけ聞けるという至福の時間を得られます。
また、そうでなくては、オーディオをやっている価値がないとも言えます。
生コンサートも良いものですが、これはその時、その限られた空間の中でだけ存在しうる一過性の限定された事象で、再現性は無い。
生には自分の感性を投影する余地は無く、演者と観客との間の心の交流というものは有るにしても、基本的には聞く側の自由にはなりません。
オーディオなら創造できる喜びがあり、自分の感性を投影できるということは、すなわち芸術性を持った趣味の世界であるという事でもあります。


☆第10話=2004年6月12日・K297b・音楽と共に生きる

ちょっと難しそうなタイトルになったけれど、楽しいキャッチフレーズを考えるのが面倒なのでこうなっただけのことです。
そう、fukuroo3は、まだ朝ぼらけなのです。
朝のコーヒーを飲んで脳内にカフェインを送り込み、音楽と共に生きるということに、思いを致してみました。
心に歌を、とか、心に音楽を、というフレーズがありますが、ことほど簡単に暮らしの中に音楽を息づかせるのはたやすくはありません。
おおかたの人達のように、単に暮らしの彩りとしてバックグラウンド・ミュージックとして音楽と接している人もいるでしょうから。
映画を良く観る方は、第二次大戦下で明日の命も定かではない時、爆撃の音が響く中で開催されたコンサートの逸話を知っているしょうし、
あるいは、沈みゆくタイタニックの甲板で、弦楽合奏を続ける楽士達をも観たことでしょう。
そういういまわの際にあって、自分の傍らに音楽をおくという姿勢は、一種の悟りに近いものがあり、感動的でもあります。
fukuroo3は、自分が死んだ時にはパラゴンの上に骨箱を乗せ、モーツァルトのK297b を鎮魂歌として流して欲しいと願っています。
K297bは、かのアインシュタイン博士が1937年に校訂した第三版で番号が振り当てられたが、
後のケッヘル第六版では偽作の疑いをかけられた曰く付きの協奏交響曲です。
fukuroo3はこの作品がモーツァルトの真作であると思っているし、真偽のほどはどうでも良いとも思っている1人です。
休日の今日は、パラゴンから流れるヴァイオリンの音と、切り立てのバラの花を愛でつつ、朝のコーヒーを楽しんでいます。
こういう想い出の蓄積が有るからこそ、世を去るときには、自分の一番幸せだったひとときを思い起こして旅立ちたいと願う訳ですね。
逆に言えば、日常生活において、満ち足りた音楽生活の記憶を持たない人は、爆撃の中で交響曲を聴いたり、
沈み行く船の甲板でヴァイオリンの音色に身をゆだねることが出来ないであろうということだ。
モーツァルトのK297bは華麗にして芳醇な曲です。バラの花を愛したシロフクロウさんに、一番相応しい音楽です。


☆第9話=2004年6月4日・下手でも味のある歌手なら下手ウマ歌手?

先頃アメリカ・アマゾンからCDが新旧取り混ぜて8枚、シンディ・ローパーのコンサートDVD1枚が届いて楽しんでいます。
その中に、Caroline Herringという歌手のがあり、メインページの女性歌手紹介ページの86ページ目に掲載しています。
ただし本日6月4日現在、最新のアルバムが未到着で、半分は写真待ち状態でありますが、プロフィール等を記載しておきました。

さて、前置きが長くなったけれど、歌の世界では器楽演奏と違う要素が沢山ありますが、
際だつのは下手な歌手でも人気が出て成功するということも、そのヒトツです。
クラシックならチャイコフスキー・コンクールとかエリザベート王妃国際音楽コンクールで、
下手なアーティストは受賞しません。下手な人は、最初から応募しないでしょうしね。
幼少の頃から練習と訓練に明け暮れた人が応募する世界でしょう。

ところが、ポップス系の歌手なら下手でも人気歌手になれます。容姿端麗な方やらアイドル歌手など、百花繚乱です。
ヨボヨボの爺様になってから人気が出た例もありましてIbrahim Ferrer、彼は下手で定評があったけれど、
独特の味があったので人気歌手になれた。
ボブ・ディランも、唄も下手だしギターもハーモニカも上手ではないのに、フォーク歌手として大成した1人。
上手いだけが全てでもないし、美声だけが全てでもないのが、ボーカルというジャンルの面白くも奥深い世界ですね。
このことは、人の価値感の違いとか、人の心に訴えかける歌というものは何か、など、様々に考えさせられるものがあります。
このことを好き嫌いの話だけで終わらせようという方とは、
オランウータンを自称するfukuroo3といえども、お付き合いしたくありません。

今、冒頭に紹介したキャロライン・へリングのCDをフクロウの巣穴の装置で聞いています。
人間の声の暖かみというものを感じましたし、決して上手くはない歌手でも、心に届く歌というのはいいものだと思いました。
フクロウ語録では、これを「心の琴線に訴える歌」と言っています。味があってさらに上手であれば天性の歌手です。
そういえば、書道の世界では「下手ウマ」という傾向の書跡がありますね。下手くそ筆跡だけれど味が有って感心していると、
これが意外に名の知れた大家の書であったりします。
これをもじれば下手美味い歌手、というジャンルがあるのかも。「下手ウマ歌手」なんちって(*^_^*)
おお、そうだ、下手で美味くもないけれど、売れている歌手というのもありますね。
これなどは超美人歌手であったりするわけですが、これをもじれば食堂のサンプル食品みたいなものだろう。
ほら、全く食えないけれどエラク美味そうに見えるメニュー・サンプルってのがあるでしょう。
これは美人過ぎて眼が眩むから、目眩まし歌手と呼びますか?いかんな、だんだんおやじギャグ的になってきた。これにて失礼。


☆第8話=2004年5月19日・ボロロ〜ンから始まること

生まれ育った環境によって、音楽に対する鮮度感が違う。fukuroo3の子供時代は音楽が少ない時代なので、
生ギターのボロロンという音を初めて聞いた時、なんて心地良い「もの」だろうと思った。 音を物質として捉えていたところが、我ながら凄い。
何年か前に子供向けアニメで、ムーミンというのが再放送された。fukuroo3はディズニーの白雪姫DVDをワクワクして観るという人ですから、
メルヘンチックなムーミンのお話がお気に入りだった。ムーミン谷に繰り広げられる様々な物語も、現実離れしていて、とても面白かったしね。
現実離れしているといえば、登場する生き物が?マークいっぱいで、人有り獣有り、妖怪変化的なキャラ有りで、
彼等が何をもって生業としているのか極めて不可解で、とうていオマンマを食べられる仕事をしているように見えない。ま、それは良いとしてだ。
不可解で現実場慣れしている登場人物の中でも、最も正体不明風なのがスナフキンなる人物。どうやら放浪の吟遊詩人みたいな設定。
このキャラクターがまたエグクかっこ良くて、私は憧れさえ抱くのです。
でもって、旅から旅へと渡り歩くスナフキンが常に背負っているのが、一丁のギターであります。
そのギターを小脇に抱えたスナフキンが調律したギターを ♪ボロロ〜ン・・♪とつま弾きます。そしてムーミンがシミジミと素朴な感想を述べます。
「なんていい音なんだろう!!」
これこそが、オーディオマニアとしての第一歩に他なりませんね。スナフキンは曲も弾いていなければ、歌も唄っていなくて、
ただ純粋にギターの弦をふるわせただけですから。この時、ムーミンは純粋に、そうです、純粋に音!そのものに感動していたのですね。
この場面はfukuroo3の幼少の頃の♪ボロロ〜ン・・♪とオーバーラップしました。
若くて柔らかい感性に刻み込まれた音楽への憧れの、第一歩がこの ♪ボロロ〜ン・・♪である訳です。

近年の日本では音楽が溢れすぎていて、有り難みというものが全然ありません。スーパーなどのバックグラウンド音楽は、五月蠅く感じる事さえある。
こういうのって、不幸でもありますね。こんな時代の若い感性の持ち主達は、fukuroo3の幼少の頃に味わった音響への憧れを持ちうるのだろうか?
fukuroo3のオーディオ人生の全てが、 ♪ボロロ〜ン・・♪から始まった、とは言わない。それほどオーディオの世界は単純明快ではないから。 
しかしながら、強烈な憧れとか夢とか希望とか、そういうエネルギーがなくて、オーディオは続けられなかったろう。

今では、生演奏を聞きに行くよりも遥かに満足度が高い音響を手に入れて日々楽しんでいる私だが、ふと思うのだ。
ちまたに音楽が満ちあふれている現代では、再生音楽に対する取り組み方への意気込みが不足してしまうのではないかと。


☆第7話=2004年5月10日・美女の歌声は微量栄養素

昨夜は所有しているDVDの中から、リトル・ヴォイスをシアター上映しました。
歌手の物真似が上手いジェーン・ホロックスが自閉症気味の主役を演じています。
主人公のリトル・ヴォイスは一日中、亡き父親のジャズレコード・コレクションを聞いて暮らしている女の子で、
父親のコレクションは女性ジャズボーカルです。ここらへんからもう、フクロウさんはグッと胸に迫るものがあります。
ジャズをあまり聞かない私でも、白人女性ジャズボーカルとなれば、無条件降伏致しますので。
ロケ地となったスカボローの町は、fukuroo3が訪れたことがあるイギリスの城塞都市コンウィとそっくりでした。
北イングランドの保養地スカボローで撮影された風景に、街を吹き抜ける冷涼な風を思い出して懐かしい思いがしました。

さて、主人公が才能を披露するステージ場面では、名歌唱が聞けるわけですが、圧巻はマリリン・モンローの物真似です。
他に歌の上手い歌手の物真似もあるのですけれど、やはりマリリン・モンローの物真似をすると、
観客から、おおっ!というどよめきにも似た反応が返ってくるのです。やはり、美女の威力はたいしたものですね。
それがマリリン・モンローであればなおさらです。

勿論、マリリンは女優業が本業で、上手な歌手ではないけれど、独特の節回しは彼女のオリジナリティが発揮されていて、他に類を見ません。
実は今、フクロウの巣穴(私のオーディオルーム)では、マリリンが歌った曲を上手な歌手が歌っているのを聞いているのですが、
やっぱり、物足らない思いがします。これはモンロー様に歌っていただかないとダメですなぁ〜、などとfukuroo3はボヤクのです。
ふと気付くことは、マリリン・モンローは微量栄養素のひとつなのだと思い至ったのでした。それはなぜかを語ることにしましょう。

fukuroo3はフクロウの巣穴に籠もって音楽三昧しているのですが、常々から音楽を聞くことは「心の糧」であると言っています。
世の中には、心の糧が無くても生きていける人がいるでしょうが、心の糧なくしては生きていけない人もいるのです。
さて、3大栄養素とは糖質・蛋白質・脂質。ついでですが美肌の三大栄養素は、コラーゲン・コンドロイチン・レシチンなのだそうです。
ところが人間には、微量栄養素も必要であって、アミノ酸・ビタミン、ミネラルが欠けると大変な病気になることが知られています。
何が言いたいかと言うと、音楽が心の糧とするならば、主要な栄養素のモーツァルトやカントリー音楽だけでは、微量栄養素が不足ということです。
美人歌手のジャケット写真で衝動買いするのを恥じることは無いぞ、そこのオジサン!。それは貴男にとって必要な微量栄養素なのですから。

☆第6話=2004年4月30日・カーリーサイモンのDVD
カーリー・サイモンはオリジナリティに富んだ歌手で、LPと数枚のCDを所有している。今週届いたDVDを楽しんだのでその話から。
このコンサートは202004年発売ものだが、収録日時は1987年6月9日、マサチューセッツのゲイヘッドという島らしき港町での野外ライブです。
場所がユニークで、カモメが飛び交う波止場の一角に設けられたステージ、そして歌うカーリーの背後は湾で、ボートは行き交うし
三角帆のヨットがさりげなくスーッと通っていく。かと思うと漁網を積載した大型漁船がズンズンと帰港するのも見えるという案配。
歌うカーリーの背後は、まるで動く舞台背景みたいで、向こうの道路には街の人々が行き交い、突堤にはチケット無しで聞いている人も。
チケット無し組でユニークなのは、向こうの道路に面した家の屋根に登ったカップルが、コンサートを聞いている様子も見えた。
ステージの前はというと、港の草地が見え、なにかしらの野生の花が咲いている。肝心の観客はというと100人ほどであろうか 。

画質は極めて悪いけれど、コンサートは楽しめました。先に書いた状況のミニ・コンサートなので、変に凝った照明などがないのも良い。
暗くなると普通の白熱灯らしきもので明るさを補う程度。歌っている歌手の周りをハエのごとくウルサク飛び交うダンサーもいない。
本来、コンサートDVDというものはこれで良いのだ。昨今のロック歌手などの阿鼻叫喚ライブなど、会場にいる人間は楽しめるだろうが、
DVDをホームシアターで楽しむのが好きな我々には無用な事ばかり多くて良くない。私は歌手の歌をじっくりと聞きたいのです。
ステージでのカーリー・サイモンは、痩せて大柄な女性なのが解った。歌った曲はCDで馴染みがない曲が多かったけれども良い歌でした。
間違いなくカーリー独自の音楽世界を披露してくれました。後で彼女がインタビューで語ったところによると、
とても気分良く歌えて観客との間に通い合うものがあったし、スタジオ録音ではおこらないエモーショナルなサムスィングが起きた。
というような事を語っていた。

DVDには近年のカーリー・サイモンへのインタビューが収録されていて、このコンサートを振り返って語っています。それによると、
なにせこの時は非常に寒かったらしく、2日間のコンサートの初日は特に寒くて、ギターを弾く指がこごえるし、
ピアノの弾き語りを、もっとやりたかったのに、手がかじかんでしまって弾けなくなり、中断したとのことでした。
それでも好天に恵まれた2日目よりは、この寒くて風の強かった初日の方が出来が良かったので、これをDVDに収録した。
カーリーの語るところによると、コンサートには何かが有る!魔物が取り付くような、そういう事が起きるのです。と語っていた。
そのような感覚は、私のオーディオでも経験していますので、良く解るような気がしました。

☆第5話=2004年4月16日・歌は若い時代のタイムカプセル

昨夜のこと、アマゾンのCD探しをしていたら、sandy posey という懐かしい歌手の名前と遭遇した。
60年代の可愛い子ちゃん歌手と思っていただければ、その歌いぶりも想像できるでしょう。
今なら見向きもしない歌手なのだが、音楽というのは不思議な力を持っていて、若い頃に聞いた忘れがたい曲には抗しがたいものがある。
fukuroo3も昔からオジサンだった訳ではないから、若くて柔らかい頃の新芽に刻み込まれた想い出の曲というものがあったのです。
実は、近頃、サンディーのCDが今でも買えると知って、14曲入りのベストものを買っていました。ところが今度は23曲と29曲入りCDだって!
しょうがない・・ナニがしょうがないのだか、自分でも良くワカランのだが、 とにかくショッピングカートに入れておいた。
ラジオで突然一回だけ流れた唯一の1曲。記憶が残っていたのだから、現代の若者達とはケタ違いの熱心さで音楽に接していたことが解ると思う。
FMラジオから聞こえるsandy poseyの歌声は、女学生が歌うような雰囲気があり、とても新鮮に聞こえたのだった。繰り返すが私も若かったのだ。
当時の日本ではアメリカ製のカントリーLPレコードを自由に買えなかった。日本はまだまだ貧しくて1ドル360円固定相場だったのだから
録音用のスイス製テープデッキを購入する時も、特注として航空便で取り寄せなくてはならない時代だった。

ジャズのようなものと違って、私の聞きたいLPは日本には無いカントリー・ポップレコードなのだから、唯一の取得方法はFMエアチェックだった。
知らない人もいるだろうから説明すると、FMステレオチューナーにオープンリールテープデッキを繋いでおき、アナウンサーの「それではどうぞ・・」
の一声が聞こえた瞬間にテープデッキの録音スイッチを押すのだ。毎日出来る訳ではなく、チャンスは週一回で一時間ほどの番組。
これはもう、まるでゴルゴ13のスナイパーショットみたいなものである。録音スイッチは2カ所抑えなくてはいけないので両手を使う。
その間は何も出来ずにアナウンサーの声が途切れるのをジッと待つのである。こんなに真剣に音楽と対峙するなど、今時の若者達には理解できまい。

たまにアナが「では、○○です」と言い、曲が始まるっ!と、引き金を引くごとくガッシャン!とオープンリールが廻って録音が始まる。シカシ・・
「あ、付け加えますが・・」などとアナが続けると
コノヤロー!ブッ殺してやるっ!と、怒声を放送局に向けて放ったものだ。
カセットテープの時代ではないから、やり直しは出来なかった。なにせ一週間に一度のチャンスだったのだから。
当時からfukuroo3のオーディオ機器にかける情熱たるや常軌を逸しており、自他共に認める狂人でしたから、当時の放送局並みの機器が揃っていた。
大きな10号リールのかかかるデッキは3台で38センチ2トラック録音も当然で、音質劣化覚悟で4トラックダウンする編集もしていた。
ここで、はたと気付いた・・、sandy poseyの歌声はタイムカプセルで、あれほど一途だった頃の自分に戻れるのだと。タイトルはこれにしよう。

☆第4話=2004年4月7日・女性ボーカルは果物の味
月に2〜3回ほど四方山話をと考えて、このコーナーを新設したのだけれど、ちょっと書きすぎだなぁ〜、反省猿しますぅ〜。
今日4月7日の午後に、アメリカ・アマゾンコムから以下の6枚CDが配達された。
1=Barbara Mandrell= "Ultimate Collection"
2=Crystal Gayle="Best of Crystal Gayle"
3=Sylvia= "Rca Country Legends"
4=Alecia Nugent="Alecia Nugent"
5=Joni Harms="Let's Put the Western Back in the Country"
6=Keith Urban="In the Ranch"

最初の3枚目までは、私の歌手紹介ページにも掲載した昔に活躍した歌手&今でも現役という女性歌手達です。
5番目のジョニー・ハームスはホンキートンク歌手で、待望のセカンド・アルバム発売でした。
初お目見えで注目していたのは、4=Alecia Nugentで、ストリーミングのサワリ聞きでも、これはイケル!と思った歌手でした。
ピッキングが冴え渡るドプロギターと5弦バンジョーに、フィドルの泣きが絡むバックは、これぞカントリーであります。さらに!
Aleciaのカントリーらしいサビが効いた歌いぶりが堪りませんね、カントリーファン待望の一枚。私の歌手紹介ページ入りも決定!。

近年はロックやボップス歌手達と変わらないような歌唱を聞かせるカントリー歌手が増えています。それもまた良いのだけれども、
カントリーの香りが漂うアリシアとかジョニーの歌を聞くと、部屋いっぱいがカントリーの香りで満ちますなぁ〜。
それは干し草の匂いかもしれないし、野外のバーベキューかもしれないし、とにかく野生の香りかもね。これはやっぱり良いものです。
ヒトは原始に還るべきだ!と、fukuroo3の口癖が出てきそうです。で、食い物の話になったところで、ふとfukuroo3は思うのですよ。
女性ボーカルを聞くというのは、地球上の様々な果物を味わうのに似ているな、と・・

fukuroo3はクラシックも好きで、特に通の聞くものとされている渋い室内楽が特に好きなのですけれども、クラシックとは畜肉ですな。
良い栄養が沢山詰まっているクラシック音楽は、そのかわりに基本味のバリエーションが沢山有りません。
だからこそ、様々な演奏者達が世紀を超えて様々な調理をして、名シェフよろしく、様々な味付けを工夫して我々に提供してくれるのです。
ところがっ!(ここで思い切り力を入れるっ!屁が出ない程度に・・)
こと人間の声となると、決まった味の畜肉と違いまして、あまた存在する果物のように最初から違う味がするのですよ!
こういうのって、素晴らしいことだと思いませんか?。調味料も調理方法も無用で、もぎたての果物を食べるように女性ボーカルを味わう。
様々な味のフレッシュな果物を丸ごとほおばるのって、エエなぁ〜。シアワセを感じるし、身体にも良さそうではありませんか。
いいですねぇ〜、止められませんねぇ〜。諸君!もっと女性ボーカルを楽しもうではありませんか。

☆第3話=2004年4月5日・ピンポンの歌
下のNo2四方山話に、ドリーパートンのCDが入っていましたが、これは私にとって26枚目だったかのドリーちゃんのCDになります。
別にコレクターでは無いのでDolly PartonのCDを全部買ってはいないけれど、彼女のファンなもので、こうなってしまいました。
CDを聞いていたら、やたらとピンポン!と歌っているように聞こえるのですよ。で、ジャケットの曲目紹介をあらためて読みました。
なにせ、オランウータン並みの私なので、買い求めたCDの絵柄は見るが、その他のことは必要性が無いと一切見向きもしません。
CDの袋を破いて、いきなりプレーヤーにかける!のであります。おりゃっ!でなもんで・・

で、表示がありましたよ、曲名=Ping Pong・・ !ふ〜む、ピンポンの歌ねぇ〜、ま、いいんですけれど・・(@_@)
何も色恋の歌だけが歌ではアリマヘンからして、ついでにパンをくっつけてピンポンパンの歌にしたって、一向に構わない訳でありまする。
あらためて、ジャケット写真を眺めると、思い切り大口を開けたドリーちゃんが、ワハハッ!と笑っておりました!たははっドリーちゃんってば。
それでなくても大きなお口なんですからねぇ〜、胸の大きさはさらにチュゴイですけれど。あ、いや、話を戻しましょ!。
それにしても、まだ体型の衰えないドリーちゃんは私と同い年です。流石に天然のままでは偉大なバストを持ちこたえられず、整形美容のお世話に
あ、しつこかったですね、ハイハイ、話を戻しますデス。(^_^;)

実は、このCDは古い録音で音も悪いけれど、CDネット通販サイトで、ストリーミング再生を聞いてみたら、聞き覚えの無い曲が3曲続けて流れた。
お!これは買わねばなるまい、とて、買い求めたのでした。天才ドリーちゃんは、作詞作曲&自分で歌うし、名曲数知れずというほどの人ですから
このCDに収められた18曲全てが自作自演であります。裏ジャケットにはご丁寧にも、All tracks written by Dolly Partonと書かれています。
クラシックの世界でも、精神錯乱女の歌!みたいなアリアがありますね。サティなどは、風変わりな題名の曲を沢山書いていることでも有名だし。

暇話休題、今朝の旦那の送迎車の中で、ずーっとこのCDをかけてました。カーステレオだと、録音の悪さが全然気になりません。
フクロウの巣穴のバラゴンで歌わせると、隅々まで克明にアラが目立ってしまい、まぁ〜、なんちゅう酷い録音だと呆れてしまうのですけれどもね。
だから、オーディオに凝るのもほどほどにした方が良いです。せいぜい200万円以下か、頑張っても300万以下なら「音の良いステレオだなぁ〜」と
満足していられますので。一線を越えるとただのステレオではなくなり、生身の女性を相手にしているような異次元世界に突入して地獄を見ます。


☆第2話=2004年4月2日・オランウータン並みの人が音楽コラムを連載する?
昨日は、コラムの初書き込みということだったので書き損なったけれども、1日にアメリカアマゾンから5枚のCDが届いていました。
Nora Jones=feels like home
Lucy Kaplansky=the red thread
Dolly Parton=18GREAT Country songs
Lorrie Morgan=show me how
Chalee Tennison=parading in the rain

買い求めたCD全てを一枚ずつ解説なんぞしていたら、私の音楽コラムは、どこぞの音楽評論家みたいになってしまう。
そうそう、Chalee Tennisonは、女性歌手の80ページ目に登場させる予定で、既にページが出来上がっています。
実は、今日は雨なので撮影ができずに、掲載が伸びたのです。200万画素のデジカメ一台を頼りにホームページ製作をしていると、
映画ロケみたいに自然採光が頼りということもあるのです。いまさら、フラットベット・スキャナを買おうとも思わないけれどネ。

おう!そうだ、思い出した。5枚のCDの解説より、fukuroo3の音楽コラムのスタンスを書いておいた方が良いですね。書きます!。
何を隠そうfukuroo3はジャケット写真で、CDにどんな曲が入っているかをイメージして、CD棚から取りだしているのです。
こういうのって、文字の読めない幼児と同じか、オランウータン並みですね。
曲名を覚えるなんて面倒なことは出来ませんから、こういうコラム記事を書くときには、CDを片手にして一本指打法で打ち込んでいます。
ワタクシメは普段カナ入力なんですよ、ハイ。さて、この柄の写真付きのCDの中に、どんな音楽が入っているかをイメージとして
とらえているのですね。良くチンパンジーの知能テストでテレビ画面を指タッチして、絵柄の順番を間違えずに押すと餌が出てきます。
そーゆー、チンパかオランちゃんみたいな人が、このシロフクロウさんという人間な訳です。

音楽ファンサイトに行きますと、ナントカという歌手がツアーに出てるとか、芸能雑誌みたいな詳細記事を載せていますね
fukuroo3はそういうことは無関心です。私にとっては買い求めたCDだけで完結しており、個々の歌手の名前さえ覚えないのですから。
ここらへんが音楽ファンと根本的に違うところです。こんなオランウータン並みのfukuroo3が音楽コラムを書くというのだから片腹痛い。
片腹痛い時は我慢せずに笑いましょう、わははっ!まっ、こんな程度の音楽コラムなのですけれど、よろしくお付き合い下さいませ。

☆第1話=2004年4月1日・四方山話コラム新設のご挨拶です。初書き込み
音楽コラムなんていうタイトルをつけちゃって、ぐふふ・・てな思いもあるのですが、
管理人があれこれと掲示板に書き込むと、書き込みをしてくれた訪問者のコメントが下がって、11番目からは見えなくなってしまいます。
それでは困るというわけで、管理人が喋りたいときの為に、こちらに専用の書き込み用紙を用意した。ということです。
沢山書き込んで、スクロールが長くなりすぎた場合は「過去の記事フォルダ」みたいなのを作らなくてはいけないけれど、
まぁ、そんな先の心配をするよりも、サッサと作ってしまいましょ!ということになりました。
バンジョーとバラの画像を組み合わせたリンクバナーを作ったりしましてデスね・・・
シロフクロウさんの事を知っている人は不思議に思いませんよね。
なにせfukuroo3は花咲オジサンでありまして、バラの花を沢山咲かせていることは、みんな知ってますから。
今度の「女性カントリー歌手応援サイト」を作るにあたって、私の大好きな薔薇の花で、女性歌手達を飾ってあげようということで、
こういう花の素材を沢山使ったホームページになりました。


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